自力で生きていけない人たちを国や政府は助けるべきだとは思わない人が38%もいる日本
●日本人は本当に優しい民族か?
日本人は自分たちは「優しい民族である」と思っているのではないでしょうか? そして海外からやってくる人たちも日本人と接して「日本人は優しい」と思っているのではと推測していると多くの人は思っているのではないでしょうか?
どうもネットで見ている限りでは、そのように感じます。
ところがこんなデータもあるのです。
アメリカのシンクタンク『The Pew Global Attitudes Project』の調査結果によると、『自力で生きていけない人たちを国や政府は助けるべきだとは思わないと言う人が日本では38%もいるというのです。
順位にするとこうなります。
日本 38%
アメリカ 28%
韓国 12%
イギリス 8%
フランス 8%
ドイツ 7%
中国 9%
インド 8%
スペイン 3%
ヨーロッパや中国韓国といった東アジアをみても平均10%前後、日本は38%。これはもうダントツでトップといってもいいでしょう。
●日本人は弱者に冷たい民族なのか?
優しいはずの日本人が、自力で生きていけない人に対しては、まったく優しくない。これも事実のようです。
どうやら日本人が優しさを発揮するのは、自立した人か旅行者であり、同じ国の弱者にはひどく不寛容で冷たといえそうです。
弱者に不寛容なのは、『生活保護』バッシングや、『ニート』バッシングも現れています。中には非行少年に対しては「元気があってよろしい」と寛容なのに、なんの罪も犯していない不登校やひきこもりに対しては「根性がない!」「非国民!」と罵る人がいたりします。
貧困も障害も、この国においては社会の責任ではなく個人の責任にしようとするようです。それを現しているのが『因果応報』と『自業自得』。幸せ不幸せの原因は、自分の行いであるという『因果応報』『自業自得』の教えです。
この考えを徹底すれば、貧困も障害もすべて、自分が原因自己責任。誰かが困っていても、その人が原因でその人の責任なんだから助ける必要なしとなってしまう。
さらに日本人の国民性として『恥の文化』があります。
さらにさらに、日本人は海外の方々の人より『同調意識』つまり「みんなと一緒にしなきゃダメ」という意識が強いといいます。
これらの国民性が重なって、『弱者は助けなくていい』『生活保護をもらうのは弱者になったと認めること、そんな恥になることはできない』という意識になってきたのではないでしょうか?
●これからは助けること・助けられることを『恥』しない文化を作るべき
いまから22年前、阪神淡路で大震災が起こりました。この年は後に『ボランティア元年』と呼ばれます。つまりそれまでの日本人は、災害で弱った人たちを助けるべく、大勢の人たちが動き出したのです。これまでボランティアなどは『偽善』と決めつけ、嘲笑っているような人でも、なんとか被災者の人たちを助けたいと思い、被災地に行けない人は品物を送ったり、お金を寄付したりするようになりました。
2011年(平成23年)3月11日に起った東日本大震災でも、昨年の熊本地震でも、弱っている人たち困っている人たちを助けたいと、自分の仕事を休んで被災地に駆けつけたり、寄付をする人がたくさんいました。
これらは、比較的わかりやすい災害であり、貧困問題や障害の問題、不登校・ひきこもり・ニートなどのようなあまり目立たない問題は、まだまだ理解されていないというといころがあります。
国民がちゃんと理解すれば、『自力で生きていけない人たちを国や政府は助けるべきだとは思わない人』のパーセンテージはもっともっと少なくなるはずです。
これからの日本は、これからは助けること・助けられることを『恥』しない文化を作るべきでしょう。
実は弱者が胸を張って権利を主張し、また弱者でない人が率先して弱者を助ける社会は、国民全体の幸福度が上がることが社会科学的に知られています。
日本の場合、生活保護を例にすれば生活保護を必要とする人の7〜8割の人が申請していません。また申請しても窓際で追い返されることもあるそうです。
こんなことをしていれば、国が弱くなるばかりです。なぜならば、生活が保護されない国というのは、チャレンジがやりにくい国であり、新たな挑戦が少なくなれば、おのずと国は発展しなくなるからです。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)