行って苦しむような学校はいらない
●休み明けに子どもの自殺が増える
子どもの自殺が増えるのは長期の休みがあける前後。
休み、冬休みやゴールデンウィークの初期や中期には比較的自殺は少ないようです。
これって子どもにとって学校というのいうものがかなりのストレスになっているということでもあります。
いえ、子どもでなくても、日曜の夕方のアニメ「サザエさん」を観ると、翌日からの仕事を思い出して憂鬱になる『サザエさん症候群』があるくらいですから、休みの終わりが近づくとそれだけでストレスを感じるのは子どもだけではないことがわかります。
と、なるときっと学校の先生たちも夏休み明けが近づくと憂鬱になっているのでしょうね。いまや教育機関はブラック企業といわれる過酷な職場だと聞きますし、心を病む先生もたくさんいるとか。
子どもにとっても先生にとっても、自殺を考えたり病んでしまう学校ってなんなのでしょうね。
●学校は富国強兵のために生まれた
近代における学校というのは『国家を支える国民』を作るために生まれました。いまの公教育は19世紀に誕生しますが、それ以前は子どもは各家族や資本家の労働力でした。
労働力ですから、国家が『学校』なるものを作り、子どもがその学校なるものに通うということは、労働力を奪われるということでもあります。
明治時代、学制が布かれ子どもを学校に通わせないといけなくなったとき、労働力を奪われた親たちが、学校を焼き討ちするという事態まであったほどです。
当時数多くいた農民や漁民、商人や職人にとって、学校での教育など必要ないものでした。必要な教育は村落といった共同体で教える。それで十分という考えだったのです。
しかし国家としては、それでは困ります。
子どもを国家のために役に立つために育て上げ、国を富まし場合によっては強い兵隊としても使える『国民』に仕立てなければなりません。
学校は欧米であろうと日本であろうと、富国強兵のために生まれたのです。
●今も残る軍隊的な教育
特に日本は欧米以上に軍隊式の教育がとられました。それは21世紀になる、あるいは令和になるいまでも色濃く残っています。
朝の朝礼では「気を付け」「前にならえ」「小さく前にならえ」といった号令に従い、児童生徒たちはいっせいに先生のいうことを聞く。
これって欧米でもやっていない軍隊式の教育です。
戦後、日本の学校教育は日教組といった左翼的なある意味、戦争や軍隊反対をとなえる人たちが教育界にたくさんいましたが、不思議なことにこの軍隊式な教育、ある意味今教練や調練といったことに、反対していません。
おそらく軍隊反対をとなえる先生方も、このやり方が軍隊式とは気が付かず、そして大勢の児童生徒を兵隊のようにしつけることに疑問をもたなかったのでしょう。
それに大勢な児童生徒が先生の号令ひとつでいうことに従ってくれるというのは、大変便利ですし。
●学校や社会における同調圧力の強さ
日本は海外に比べて同調圧力が強い国だそうです。学校でも会社でもみんなと違うことをいうと、いじめられたり仲間外れにされたりすることが多いとか。
この国民性も学校教育に端を発しているのかも知れません。みんな一緒に行動する。それをしない・できない人は叱責するか、あるいは「もっとがんばろう!」とみんなで励ます。
かつては子どもが学校を不登校になると、先生の命令(先生は指導とか提案というが)で、みんなで不登校の子の家に行き、プリントなどを渡すなんてことが、あったりしたそうな。
先生方はいいます。「個性を大切にしましょう」
でもうっかり個性的な行動や言動をしたら、いじめや罰の対象になってしまいます。
そりぁ、『みんなと一緒』が苦手な人は学校がストレスになりますよね。
人が人であるために、子どもが将来自分の力で生きていくために、教育は必要だし、そのために学校はとても大きく重要な機関です。
でもそろそろ軍隊式の『みんなと一緒教育』から離れてもいいんじゃないかなと思います。
子どもにしても先生にしても、学校に行くことで自殺を考えたり、病んだりするようなら、それってどこか間違っているのかも知れませんよ。
おぐらおさむ拝