不登校ひきこもり支援施設ではなぜ暴力が絶えないのか⁉

●犯罪者を出しても絶えない体罰支援施設


 本日ニュースを見ていると、東京奥多摩のある不登校やひきこもりの人を預かるある寺で、住職が預かった子どもに暴力をふるうというものがありました。



 ニュースの内容はこんな感じです。


【独自】寺の住職「体験修行」学生ら暴行か - 日テレNEWS24
2016年11月14日 12:18
http://www.news24.jp/articles/2016/11...

 東京の多摩地域にある寺で、「体験修行」として預かっている中学生らに、住職が暴行していた疑いなどがあるとして、児童相談所が中学生らを保護していたことがわかった。


 東京の多摩地域にある寺で先月下旬に撮影された映像には、預けられている中学3年の15歳の男子生徒が寺の住職に顔を平手打ちされたり、棒でたたかれたりする様子などが記録されている。


 暴行被害を訴える男子中学生(15)「(住職に)全身的に全体を殴られる。(Q:素手で?)素手の時もありますし、太鼓の棒とかでたたかれる時もある。ボコボコにされるし、めっちゃ怖いんで、言葉だけでも圧倒されるぐらい怖い。1秒でも早く(寺から)出たいです」


 男子生徒の耳や腕などには、暴行によってできたとみられるあざが残っていた。


 この寺では不登校や家庭の事情などの問題を抱える子供たちを1日あたり7500円で預かり、「体験修行」として、滝行や写経などを行っているとしている。しかし、関係者が寺で撮影した映像には、預かった子供に住職が繰り返し暴行する様子に加えて、寺の領収書の整理を手伝わせている様子も記録されていた。


 目撃した関係者が通報したことなどを受けて、立川児童相談所は11日に寺に立ち入り調査を行い、男子生徒らを保護した。警視庁もこうした情報を把握していて、暴行の実態など情報収集を進めている。


 一方、寺の住職は日本テレビの取材に対し、「やっていません」と暴行そのものを否定している。


 住職は否定しているようで、この寺のホームページには次のような抗議文が乗っておりました。


本日、11:30〜11:45に日テレのストレイトニュースで放映された内容は、事実誤認であります。
放映対象者が未成年にもかかわらず、両親の承諾もとられておりません。
日ごろから強引な取材、住居侵入、プライバシー侵害等が行われておりました。
ただいま、顧問弁護士と法的手続きをとる予定です。報道関係各社の取材は一切お受けいたしません。

 ことの真偽は司法にお任せするとして、不登校やひきこもりの支援施設には、このような入所者に暴力、もしくは暴力的にふるまう施設がときどきニュースに出ます。


 古いところでは、多くの自殺者や行方不明者を出した『戸塚ヨットスクール』や不登校の親を罵倒することでテレビ等で有名になった『長田塾』、当時26歳の男性を手錠及び鎖などを使用して監禁し死亡させ、代表理事が逮捕監禁致死罪で懲役4年の実刑判決を受けた『アイ・メンタルスクール』などなど。


 これらの支援施設は、みな訴えられ敗訴をしているのですが、戸塚ヨットの代表は刑務所からの出所後も自殺や行方不明者を出し続けながら現在でもヨットスクールを続け、長田塾の元代表は現在『NPO「家庭教育再生機構」理事長。一般社団法人「日本家庭教育再生機構」理事長[1]、栃木市教育委員会特別講師と、教育にかかわり続けているらしい。


 なぜこういった体罰を多用する支援施設が絶えないのでしょうか?


 少し前に『戸塚ヨットスクールが幼児教育を始めていてヤバイ。3歳児にビンタ 』という記事を読んで、いや〜な気持ちになってしまいました。




●日本の伝統的教育法に体罰はなかった

 それは多くの人の中に、「痛みや恐怖を与えることで人は操れる」という考え方があるからです。また京都大学大学院教育学研究科の岩井 八郎氏の論文『容認される「親による体罰」−JGSS-2008 による「体罰」に対する意識の分析−』によると

 


・親による体罰に賛成 24.7%

・親による体罰に反対 5.3%


 と、圧倒的に体罰に賛成、もしくは容認する人が多いという現実があります。


 もれは悪しき欧米文明の教育法と大東亜戦争(いまは太平洋戦争というそうですが、先の戦争では太平洋上だけではなく、中国やロシア、東南アジアでも戦争をしていたわけですので、私がこの言い方が正しいと思っております)の日本軍の伝統とが合わさり、戦後日本に残ってしまった影響でしょう。


 なぜならば『少年犯罪データベースドア』の「戦前は学校でも軍隊でも体罰が絶対禁止だった」によると、戦前は体罰が絶対悪でした。ちょっと『少年犯罪データベースドア』から引用してみましょう。

戦前にも体罰はありましたが、戦前は体罰が絶対悪で、明確に「犯罪」として処理されていたのです。
なんか、戦中は違うと読み取る方が多いみたいなので、念のため書き加えておきますが、戦時中も体罰が絶対悪で、明確に「犯罪」として処理されていたのです。
変わったのは戦後になってからです。

戦前は生徒たちも自尊心がやたらと高くて反逆的で、小学生でさえ何かというと徒党を組んで同盟休校や教師の吊し上げをし、体罰教師のクビを要求します。
戦前の親は権利意識が強くてすぐに学校に怒鳴り込んできますし、訴訟を起こします。学校側は平謝りで、治療費を出したり加害者教師を他校に追いやったりすることでなんとか示談に済ませようとします。


 と、いまの日本人は大人も子どもも自尊心(自己肯定感)は世界的にとても低いのですが、当時はとても高かったようです。そして教師についての体罰にも厳しかったのです。


 よって、現在の体罰賛成派の「いまの先生は、子どもを殴れないからかわいそう。昔は・・・」というセリフは、大東亜戦争中と戦後に起った考え方で、決して日本の伝統的教育法ではありませんでした。


 明治時代に日本に来た欧米人は、皆、口を揃えて日本の体罰のなさに驚いています。


 江戸時代後期に来日したカール・ツンベルクというスウェーデン人は、その紀行文のなかで


「注目すべきことに、この国ではどこでも子どもをムチ打つことはほとんどない。
子どもに対する禁止や不平の言葉はめったに聞かれないし、家庭でも船でも子どもを打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」


イギリスの書記官オリファントは「子供の虐待を見たことがない」と述べているくらいです。

(参考:『江戸時代の子育て』巨椋修(おぐらおさむ)の不登校・ひきこもり・ニートを考える』より


 ちなみに欧米のキリスト教世界では、「子どもは動物を同じだから、鞭を使っていうことをきかせなければならない」といったことが聖書に書かれているため、子どもに体罰を与えます。体罰は欧米の教育法だったのです。


 よく体罰賛成派の人は「日本の伝統的教育法のもどれ」といいますが、それはまったくの間違い。正しくは「日本の伝統的教育法には体罰という考え方はなかった」のです。そして賛成する人は伝統的ではなく、戦中戦後の新しい教育法であり、子どもを家畜のように鞭打っていうことをきかせようという教育法なのでした。




体罰を賛成する人は恐怖や痛みを与えることで、人を操れるという考え方の人

 まず、なぜ体罰がなくならないかというと、一つは自分が体罰をされて育ったということがあるのでしょう。「いまの自分があるのは、あの先生が厳しく当たってきてくれたおかげだ」と思っている人も多いのではないでしょうか?


 次に、口で説明ができないでつい手が出てしまう教師や親、指導者が多いということでもありましょう。つまりうまく言語化ができない。短絡的に解決するには殴ったり怒鳴っていうことをきかせるしかない。これは指導能力に問題があるといえましょう。


 短期的に成果を上げようとすると、こういう体罰っていう手は有効だとはいわれています。つまり長期的に考えない人は体罰に頼ります。


 そして何より、体罰に賛成の人は「体罰を賛成する人は恐怖や痛みを与えることで、人を操れるという考え方の人」ということがいえるでしょう。


 体罰や暴力による支配というのはカンタンに成果がでます。しかし長期的にみればそれは明らかに害が多いというのはいろいろなデータから証明されています。


 私は体罰には反対です。



FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)