体罰や暴力を受けて育つと体罰や暴力を容認するようになりやすい


体罰を受けて育った人が体罰を否定することが難しい理由

 学校教育の場や、少年指導の場において、ときとして体罰が賞賛されることが我が国では多くあります。


 以前にも紹介しましたが、特にスポーツ指導において、8割もの人が「体罰は必要」と考えているそうです。


 そして体罰を受けて育ったその少年たちが年長者や大人になったとき、「自分がやられたと同じように」年少者や子どもを暴力と恐怖で育てようとすることでしょう。

 
 このことは、体罰を賞賛している人のほとんどが、口をそろえていう


「わたしもそうやって育てられました。でも、いまは感謝しています」


という言葉に表れています。



 そしてそういう人に対し「体罰はいけないものです」という意見を納得してもらうのは非常に難しいのです。なぜならば、それは自分を育ててくれた親や恩師を否定する意見でもあるから。


 つまりそういう人に「体罰は悪い」というのは、自分の育てられ方を否定するに等しい言葉でもあるからです



体罰事件のときに必ず使われる「教育の一環」「しつけのため」

 親や教師の中には、「体罰は教育でありしつけです」と堂々と言い放つ人もいます。しかし、これまで何人の子どもが「体罰は教育でありしつけ」という美名の元に子どもたちが虐待され、最悪の場合殺されてきたか……


 それは学校内だけではありません。07年には大相撲の時津風部屋で17歳の少年が親方や先輩力士からリンチを受け死亡した事件がありました。


 こういうときに必ずといって使われるのが「教育の一環」「しつけのため」「指導の一環」という言葉です。

 2011年に児童相談所での児童虐待相談対応件数は5万5千件、そのうち死亡した子どもの数は39人。過去最悪の数字でしたが、我が子に殴る蹴るの暴力をふるう親が、いう言葉に「しつけのためにやった」というものがとても多いのです。



●学校や親は子どもを殴る特権を持っているのか?

 学校内での体罰も同じく「しつけのため」「教育の一環」というものですが、これは明らかにおかしな話しです。元ヤンキーから政治家になった文部科学省政務官義家弘介氏は


「練習試合の最中にコートの中で、平手打ちをして問題にならなかったことが異常」


「街で気に食わないから平手打ち4発5発やったら、とんでもない暴行事件が起こったと110番入るはず、部活だからやっていいなんていうことはありえない」


 と語っていますが、まったくその通りで、教師やスポーツ指導者は、体罰という暴力や虐待をやってもいいという特権を持っているわけではありません。


 街中であれば、警察に通報されるようなことが学校内では許されてきたわけです。これは親も一緒で、もし街中で我が子に体罰をすれば、はやり警察に通報されることでしょう。なぜ通報されるのかといえば、それが暴力であり虐待であるからです。


 警察に通報されるようなことが、教育現場や家庭内で行われていることが、ますますもって異常としかいいようがありません。



体罰容認派の意見は正しいのか?

 しかしそれでもこの国の人々は体罰を容認する人、体罰は必要だという人がとてもたくさんいます。


 その理由として、前述したように、そういった人々の多くは、自ら親が教師に殴られて育ってきた人たちです。


 ちなみに日本に体罰が入ってきたのは、明治維新後に、欧米流の教育法が入ってきたためで、昔の日本には、子育てや教育に体罰をするという習慣は、ほとんどありませんでした。


「教鞭」という言葉があるように、欧米の教育は子どもを家畜同然と考え、子どもは鞭で叩かねばちゃんと育てることができないという考えからきたのです。


 体罰容認派の人たちは、


「もし生徒が先生に逆らったり校内暴力で先生に殴りかかったりしてきたらどうするのだ! 先生は一方的に殴られなければならないのか!」


 などとわけのわからないことを大声でいう人もいます。


 これは逆にいえば、先生のいうことを聞かない児童生徒は殴りつけて、いいという恐怖や暴力によって児童生徒をコントロールしようという最低の考え方です。


 また、児童生徒が先生に殴りかかるということは、暴力事件が起きたということです。


 これら体罰容認派の意見を、学校以外の場所で言ったとしたら、その人の常識が疑われることでしょう。会社で社員が社長に殴りかかってきた場合、社長が殴り返してはいけないという規則があるのはおかしいと言っているのと同じなので、すごく幼稚な意見といえるでしょう。



●学校は聖域にしてはいけない

 ではなぜ、学校だけが体罰容認派の人のような主張がまかり通っているのかというと、学校が法から隔離されている“聖域”となっているからです。


 だから、いじめのような犯罪や暴力事件、窃盗などが起きても、学校は外部に漏らさずに内々で処理してしまう。


 体罰もしかりで、学校外だと警察沙汰になることが「学校ゆえに」許されてしまう。


 ひどい場合だと、学校内で先生が生徒にわいせつ行為をしたとしても、内々で処理され、親が先生を訴えようとしても「ここは一つ穏便に、ことを荒立ててはお子さんの進学や就職に傷がつきますし」と、半ば脅迫されるようなことをいわれ、やった先生は、他の学校に転勤になっておしまいということが、実際に起こっているといいます。


 その結果「子どもの将来のために」という美名のもと、学校は犯罪行為が起こっても、内々で処理される特別な場所になってしまっているといってもいいでしょう。


 もし、本当にこの国の学校や教育を良くしたいのなら、学校を聖域としてはいけません。


 そのためには、学校がいじめ、体罰といった事件が起こったときに、隠蔽しては損だというシステムに作り変える必要があります。


 そうしないと、本当の意味で学校が子どもにとって安全な場所にならないのですから。






FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)拝



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巨椋修(おぐらおさむ)は陽明門護身拳法という護身術&総合格闘技の師範をやっています。

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