ストーカーと被害者意識
ストーカー犯罪というものがあります。
ストーカーを犯す人の中には、被害者本人から「迷惑だからやめてくれ」といわれても、あるいは明らかな犯罪行為であるとわかっていても、警察から警告されたとしても、自分を正当化し、やめようとせず逮捕される人もいます。
ストーカー犯罪防止活動をしている『NPOヒューマニティ』の小早川明子理事長によると新規相談の約半数は「行為者(加害者)」からの相談だそうです。
ふられた相手に対して、さんざん待ち伏せや電話、メールなどで面会の強要などのストーカー行為をしていた男からの相談では、
別れると言ったときの冷淡な目つきが許せない。見下された。
女というものが信じられなくなったのは彼女のせい。
その責任を彼女にとらせたい。
というものであったそうです。
それで「彼女に何を求めるのか?」と聞いたところ
誠意ある謝罪、別れても信頼しあって友人として付き合いたい
とのこと。
「あなたはその女性に嫌われているし、女性は怖がってますよ」と伝えたところ
自分たちは愛し合っていて、嫌われたわけではない。相手に優しいメールも送っているし
と、かなりチグハグな回答であったといいます。
(※参照;日本テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」より)
そして、ストーカー行為をする人は、自分を加害者とは考えていません。
むしろ、自分こそ被害者であると思っている場合が非常に多いようです。
ストーカーは「自分は悪くない」「いつかはわかってくれる」と物事を大曲解します。
この大曲解を心理学では『認知の歪み』と、いいますが、ストーカーに限らず被害者意識の強い人に、いくら「あなたの認知は歪んでいる」と丁寧に説明しても通じません。
なぜなら、言葉を曲解する人は、その説明すら曲解して理解してしまうからです。
また被害者意識の強い人というのは、攻撃性も強く、
「自分は悪くない」
↓
「いつかはわかってくれる」
↓
「俺がこんなに苦しんでいるのに、なぜこいつはわからないんだ」
↓
「こいつさえいなければこんなに苦しまずすんだのに・・・」
と、相手を攻撃する場合もあります。
精神科医の春日武彦氏著『不幸になりたがる人々』(文春新書)によると、
「(被害者意識とは)あらゆることを自己正当化させる便利至極な装置に他ならない」
と書いていますが、まさにその通り。
被害者意識を持った人は、二つのことを求めるともいいます。
ひとつは敵。そしてもうひとつは特権であるといいます。
つまり、被害者意識の持ち主は「私は被害者だから大切にされるべき特権がある」という考え方があり、そのため自分にとって都合のいい敵を作り「こいつさえいなければ」と考える傾向があるということです。
敵を作ることで自分は正しく、相手は悪であり、悪は手段を選ばずに倒せという単純なストーリーが作れるのです。
そして自分のストーカー行為は正当であり、悪いのは相手という考えになってしまうのです。
自分は間違っていないと思うのは、ストーカー犯罪者のみならず、多くの犯罪者も被害者が悪いとか、あるいは●●が悪いと、自分を正当化する傾向があるようです。
被害者意識とは、自分は正しいという主張ですが、多くの犯罪者も「自分は本当のところ悪くない」と思っているようで、殺人者が「殺されたのはあいつに隙があったからだ。あいつに隙がなければ自分は殺人犯になっていないのだから、被害者は自分だ」というのと一緒で、こうなると、周囲の人には理解不能ということになります。
被害者意識の強い人は、「自分はもっと大切にされるべき」「優遇されるべき」と考えています。
つまり被害者意識の強い人は、愛されることを強く求めている人といえますが、自分が人を愛することが難しい人といえます。
なぜならば、求めるばかりで与えようとしていないからです。
被害者意識の強い人は、理解されることを強く求めている人ですが、人を理解することが難しい人です。
なぜならば、やはり求めるばかりで、自分から相手のことを思いやっていないからです。
残念なことですが、そういった人に溢れるような愛を捧げたとしても通じません。
なぜならば、そういう愛に対しても曲解して受け止めてしまうからです。
そういった人が変わるためには、自分の認知が歪んでいるという自覚が必要なのでしょう。
自覚がないということは、自分が歪んでいるということにすら気がついていないわけです。
つまり自分は正しく、間違っているのは相手だと思っているのですから、変わろうとする必要がないと思っているのですから。
よって、そういう人は、自分を客観的に見る必要があります。
そして、自分の正義を疑い、世間の正義も疑い、自分と世間との間にうまい落しどころを見つけることができたら、それが正しい正しくないとか関係なく、いままでよりずっと生きやすくなってくると思います。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)