ぼくは『エホバの証人』の子供だった


ぼくはカルト教団のリーダーの子供だった

たったいま佐藤 典雅著「ドアの向こうのカルト ---9歳から35歳まで過ごしたエホバの証人の記録」という本を読み終えた。


この本は、東京ガールズコレクションの仕掛け人であり天才プロデューサーと呼ばれた佐藤典雅さんが、9歳から35歳までエホバの証人として教団活動していた。信者の日常、自らと家族の脱会を描いた一冊だ。



エホバの証人……、ぼくにとってあまり口に出して言いたくない言葉である。


ほとんどの人には言っていないのだが、ぼくは生まれたときから23歳まで、エホバの証人として暮らしてきた。

両親が熱心なエホバの証人だったからだ。エホバの証人について知らない人のために説明すると、「エホバの証人」とはキリスト教系の宗教団体「ものみの塔聖書冊子協会」の通称であり、カルト教団の一種である。
(ただ、エホバの証人たちは、自分たちがカルトであると、夢にも思っていない。自分たちだけが正等だと信じているのだ)


この本を読んでいて、つくづく自分は「エホバの証人の子供だったんだなあ・・・」と思わされ、共感し、また当時のつらい思い出が次々と蘇って来た。

著者の佐藤さんとぼくには、いくつかの共通点がある。また当然、違いもある。


まず、親が熱心な信者であったこと。

佐藤さんはお母さんが9歳のときに入信したらしいが、ぼくは生まれたときから両親が信者で、父親は、ぼくが物心ついたことには長老であった。
(なんでも戦前に「ものみの塔」を日本に最初に伝えた明石順三の孫弟子くらいにあたるらしい)
また、エホバの証人の大切な祭典である巡回大会や地域大会の大会監督もやっていたから、その地域のリーダー的存在であった。


また、佐藤さんのお父さんは銀行員らしいが、ぼくの父も銀行員だった。もっともぼくが生まれた頃に、銀行を辞めて、奉仕活動中心の生活をするようになる。

佐藤さんはニューヨークにあるエホバの証人の本部「ブルックリンべテル(べテルとは神の家という意味。ブルックリンべテルは世界総本部になる)」で奉仕活動をしていたが、ぼく自身は日本本部ともいえる「海老名べテル」で奉仕活動をやっていたこともある。


佐藤さんとの大きな違いは、佐藤さんは学校の成績も優秀、信仰生活でも熱心だったようだけど、ぼくの場合、学業はてんでダメ。信仰に関しては、親に気に入られるために、必死で信じよう信じようと努力をしていたところかも知れない。


いま、ぼくはこの不登校・ひきこもり・ニートのブログなどをやっているけど、それはひょっとしたら、ぼくのこの生い立ちに関係があるかも知れない。だから長くなるけど、そのことについて書いてみようと思う。



●子供の頃、ぼくはストレスで心身症になっていた

ぼくの家族は、全員がエホバの証人のメンバーだった。前述したように父は会衆の長老であり、その地域のリーダー的存在だった。母も姉も妹も正規開拓者といって月に70時間以上の伝道活動や、人に聖書を教える立場の人でもあった。

そんな中、できの悪いぼくは、親に気に入られようと必死で「いい子」を演じていたように思う。もっとも、いかに演じようと中身がかなりの出来損ないだったので、しょっちゅう失敗し、エホバの証人は聖書の教えによって体罰推進派なので、よく母親から殴られたりした。ぼくの場合、ふとん叩きで鞭の代わりで叩かれていた。母親から拳で1ダースほども殴られたこともある。


そのためか、ぼくは小学生のころ、学校に行く直前に必ず腹痛や頭痛に悩まされていた。

といっても学校に行くのが嫌だったわけではない。家の中にいるのが苦痛だったのだ。


ただ、エホバの証人というのはいろいろと戒律があって、他の子ども達と行動がどうしても違ってきてしまう。

そのため、中学ではずいぶんといじめにあったし。

また、高校時代は学校に居場所がなかった感じだった。


十代の後半では高血圧と診断され、謎の体調不良に悩まされていた。自律神経失調症であったと思う。いわゆる「心身症」である。

これらの病気は、親から独立して1人暮らしをはじめた途端、良くなってしまった。親との暮らしやエホバの証人としての暮らしがどれだけ自分を抑圧していたのかと思う。




●子どもの頃の話し

エホバの証人の子どもの場合、将来の夢というと、奉仕活動をするか、あるいはいまの世の中が「ハルマゲドン」によって壊滅し、神による「楽園」で、永遠に肉体を持って生活をする以外の夢を持つ以外のことは、なかなかできない。

エホバの証人の子どもというのは、両親が熱心な信者である場合、職業選択の自由などない。

自分が食べるだけのバイトをして生計を立て、後の時間はすべて奉仕活動に専念するように指導される。

なぜならば、いい企業に就職しようと、いくらお金を蓄えようと、もうすぐにでもハルマゲドンがきて、すべてが終わりになるかも知れないから、将来の生活設計や貯金などする必要がないのだ。


ぼくも高校を出てバイトをしながら奉仕生活をしていた。

あるとき「さすがにこれでは……」と思い、親にはだまって就職を決めてきたことがある。

そのときは、父親が烈火のごとく怒り、就職が取りやめになってしまったこともある。


ぼくも普通の子どもと一緒で、大人になったら……と、子どもの頃は一瞬想像する。でもすぐに「でもそんなことは、親が許さない」と、思いを打ち消さなければならなかった。


ぼくはいま漫画家や武道の先生をやっているが、それらはエホバの証人にとってとんでもないことだ。

漫画はなるべく読まないほうがいいし、武道はエホバの証人にとって絶対禁止。子どもが学校の授業で柔道や剣道を学ぶのは当然拒否しなければならない。

そのため退学になった高校生がいて、裁判になったこともあるくらいだ。


ぼくの場合、20歳を過ぎた頃から、親に隠れて描いていた漫画を投稿し、いろいろな雑誌に入賞をし出してから、親もシブシブ漫画を描くことを認めるようになった。

ある日、集英社の「別冊マーガレット」の編集部から、入賞とデビューの話しがきたとき、母親が電話を切ろうとしたときは、ちょっと慌てたことがある。以前にも、一度ある雑誌で入賞したとき母親が出て切られてしまったことがあるのだ。


ぼくはデビューしてから、しばらくして家出同然で上京する。22歳のときであった。

武道に関しては、エホバの証人と完全に縁が切れた24歳の頃になってからはじめたものだ。



●子どもの頃の抑圧

エホバの証人の子どもや若者は、いろいろな抑圧がかかる。


・ゲーム・漫画・テレビ・映画・スポーツといった娯楽やレクリエーションには、他の子ども以上に規制がかかる。(武道格闘技は一切禁止、部活も基本的にダメ)
・一般家庭の子どもと遊ぶのにも普通以上の規制がかかる。
・国家や校歌を歌ったり国旗の掲揚は宗教上の理由でできないため、友達から奇異の目でみられる。
・選挙の禁止(学級委員の投票もダメ)
・信仰の強制(疑問を持つこと自体がダメ)。
・親と一緒に伝道活動への参加が強いられる。
・週3回の集会への参加の強制。
職業選択の自由の剥奪。(ぼくの時代では大学進学の希望も剥奪されていた)
・恋愛の禁止。
・オナニーなんてもってのほか。
などなど……


ぼくの場合、ぼくの好きなこと、やりたいことはほとんどすべて禁止だった。親や教団から押し付けられたこと以外、すべて禁止。親や教団のいうことを聞いていれば、夢も希望も持てなかった。

ぼくが心身症になり、エホバの証人を辞めたとたん、健康を取り戻したのは、いまとなってはよくわかる。


ぼくがもし、聖書やエホバの証人の教えを素直に受け入れていれば、もしかしたら心身症などならなかったかも知れない。

しかし中学生の頃からぼくは、エホバの証人の教義への疑問や、聖書を読んでいて矛盾を感じるようになっていた。

この疑問や矛盾を、年長の証人たちに聞いても、どうにも納得がいく答えを得ることができなかった。

ぼくは、自分に嘘をついてでも、教義を信じようとし、奉仕活動や聖書研究をしてきたが、おそらくそれが、心身症へと繋がっていったのではないだろうか?


ちなみに、聖書の矛盾点について書いたのが拙著『ビックリ!おもしろ聖書物語』である。




●カルトの怖ろしさ

エホバの証人がなぜここまで規制が厳しいのかというと、それは彼らの教義による。

エホバの証人は、近い将来ハルマゲドンという神の裁きが来て、自分たち以外の人は悪魔サタンと一緒に、神エホバに殺されてしまうと信じているのだ。

そして生き残ったエホバの証人たちは、天国ではなくこの地上で、肉体を持ったまま永遠の命を与えられると信じている。

その永遠の命をえるためなら、我が子が事故や手術などで輸血が必要であっても、彼らはキッパリと輸血を拒否して我が子が死ぬことを選ぶ。

なぜなら、彼らの教義では、輸血をすると楽園に入れず永遠の滅びてしまうからであり、教義を守って死んだ場合、神の力により、楽園で復活して永遠に生きることができると信じているからだ。

「え? まさか本気でそんなことを信じているの?」と思うかも知れないが、彼らは大真面目に本気である。

それが、カルト宗教の本質であり怖ろしさかも知れない。

ぼくは、オカルト業界関わっていて、トンデモの人たちとよく会うが、トンデモの人たちの方が、ある意味エホバの証人よりもマトモである場合が多い。

また、オカルト業界の人のトンデモを疑わずに信じている人には、いつカルトに取り込まれてもおかしくないと危惧している。




●ぼくは親に殺されていたかも知れない

宗教というのは、本来人を幸せにするものであって欲しいと思っている。
ところが、時として宗教が原因の戦争や、ときには家庭がバラバラになるということもある。

ぼくの場合、親やその他家族との絶交状態となった。

いま、ぼくの親は日本人の平均寿命くらいの年齢のはずだから、もしかしたらもうすでに亡くなってしまっているかも知れない。

しかし、ぼくの場合、親と絶交状態になって良かったのではないかと思っている。

親としては、ぼくがエホバの証人と離れていろいろと苦しんだり悲しんだかも知れない。もしぼくが我慢をして、エホバの証人のままだと幸せな一生であったかも知れない。

が、ぼくは親の幸せのためだけに自分を犠牲するために生まれてきたわけではないと思う。

そして、もしぼくがエホバの証人のまま、自分に嘘をつき続けていれば……、これはただの勘のようなものなのだけど、ぼくはもう生きていなかったと思う。

また、あのまま一緒に暮らしていたら、もしかしたら、ぼくは親に殺されていたかも知れない。

逆に親を殺してしまっていたかも知れない。


本当にそう思っているし、それくらいの緊張感があった家庭生活だった。


*     *     *    *

人はどんな宗教を信仰してもいいと思っています。

それはエホバの証人でも一緒であり、別にやめなさいなどというつもりはありません。

ただ、そのために他人との諍いになったり、家族が苦しんだりしないようにして欲しいと思います。

また、新興宗教等にハマる人や、宗教に救いを求める人は、どこか悩んでいたり、人生に矛盾を感じていたり、苦しんでいたりしている人が多いのだと思います。

不登校・ひきこもり・ニートの人たちやその親にも、宗教に救いを求める人がたくさんいて、救われる人もいるでしょうし、また救われなかったという人もいることでしょう。

また、今回はぼくの話しでしたが、それぞれの家庭でも、それぞれの事情があり、いろいろな規制や抑圧があると思います。

ぼくの話しはホンの一例として参考にでもなればと思います。







不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局』
巨椋修(おぐらおさむ)