道徳もいい加減でいいじゃない
さて、今回のお題。
問い;「道徳ってなんだ!?」
巨椋流答え;「道徳とは明文化されない、あいまいなルールである!]
例;「道徳的に、親の言うことを聞くのは正しい」
例;「道徳的に、人殺しはいけない」
道徳的にはそうかも知れませんが、“絶対”とは言い切れない。
すべて状況によります。
ずいぶんと前のことですが、あるアメリカ大統領選があった。
ある候補者は、支援者のお子さんと思われる子ども達と、握手をしたり抱き上げたりするパフォーマンスをやっておりました。
候補者は言いました。
「お父さん、お母さんの言うことをよく聞くようにね」
すると、ある7〜8歳の少女が大統領候補に質問した。
「お父さんからレイプされそうになっても言うことを聞かないといけないの?」
その大統領候補は、答えることができませんでした。
道徳的には、親の言うことを聞くというのは、正しい事だとされているけれど、「すべて」ということではない。
状況・環境によるのです。
法律は、最低限の道徳だと言われております。
ところが……
六法全書を引っくり返して、読んでみたところで
「人を殺してはいけない」
とは、一行も書いていないのです。
書いているのは
「人を殺した場合、死刑もしくは無期懲役、もしくは禁固3年以上……」
みたいなことが書いてある。
窃盗にしてもそうで、
「人の物を盗んではならない」
とは、書いていない。
「盗めば、罰金○○円以上、懲役……」
みたいなことが書いてあるだけで、「盗んじゃダメだよ」とは書いていない。
つまり、近代社会の法とは、人間の自由や良心、行動というものに関して、余計な支配はしないというのが原則。
法とは、国家や権力者、権力機構が定めるものであるから、国家や権力機構は、個人の行動に関して、制限をしない。
ただし、罰則あるのみ。
それも、反則をした人を捕まえるのは警官であり、裁くのは裁判官である。
いち民間人が、誰かを捕まえて裁くというのは、明らかに違法ということになる。
そして反則をした人も、弁護士などに自分の弁護を依頼することができるというのが、近代法というものなのであります。
ところが……
この基本的な法律概念が、我々にあるかと言うと、はなはだ心許ないというのも現状で、例えば憲法9条。
いわゆる自衛隊。
これは違憲か合法かというと、どう見ても違憲であるとしか言いようがない。
自衛隊が軍隊ではないといくら言っても、ちょっと無理である。
しかしこれを“憲法解釈”という秘技でもって、合憲にしているのが日本だったりするのです。
しかしこの“秘技”は、まったく海外には通用しません。
武器を持っている国がいて、
「この軍隊は防衛のためでして、軍隊のようですけど軍隊じゃないのです」
なんていうのは、日本では通用するかも知れないけれど、攻撃されるかも知れない海外では、悪い冗談以外の何物でもない。
憲法という法律の親玉でさえ、この有り様だとすると、その他法律は押して知るべし。
そういった「明文化されない、あいまいなルール」というのは、どこにでもあるのです。
さて、例えばこのブログのテーマは、『不登校・ひきこもり・ニート』である。
その中でも、『不登校』の場合、小学校・中学校にほとんど行っていない人がたくさんいる。
厳密に考えると、それらの人は、出席日数が足りない等で、小学校も中学校も卒業できないはずである。
しかし、不登校になって小中学校を卒業できない児童・生徒はまれなのです。
厳格な人であるなら、ここで怒り出さないといけない。
「国家の元たる、子ども達の教育をなんと考えておるか!!」
しかし、そんなことを言うと我が子が将来不利になるかも知れない。
ときとして、不登校の親御さんと対立する学校の先生もまた、同じように考えていなさるようで、ちゃんと出席日数をごまかすかして、子どもを進級卒業させてくださる先生が多いのです。
第一、厳格に言っている人だって、我が子ならありがたく先生の“ご好意に甘える”場合が多いと考えられます。
わたしは言いましょう。
「利用しなされ」
と……、
この国は、いい加減な法が支配する……
もとい、いい加減な神々が支配する国なのです。
そのいい加減さ、あいまいさで問題が起こることもあるけれど、もしそれで有利になるのであれば、“利用しなされ”
厳格たるはずの、学校教育でも融通がきく。
これが現実。
ある意味、子ども達の将来を考えた“道徳”かも知れない。
文句や不満のある人だって、相当にいるのでしょうが、他の面から攻めたら、その人たちだって、突っ込まれると困ることだらけの人も少なくない。
そう、いまこれを読んで怒っている人だって、どこかにそんなことがある人がほとんどです。
いまの時代、道徳・公衆規範ほど決めづらいものはないのです。
いやいや、もともと、「あいまいな道徳」しかなかったのが、日本文化であったのかも知れません。
近代社会になって、多様化が進んでますますその傾向は進んでいるのでしょう。
同時に反発も多くなってくるのでしょう。
で、あるならば、お叱りを覚悟の上で、まだ「あいまい・いい加減」でいられるのであれば、ぬけぬけと、したたかに、しなやかに、そして「にやり」と笑いつつ
生き抜けてみるっていうのも、いいんじゃねえの?
道徳は大事です。ルールも大切です。
でも、でもそこは柔軟に、いい加減に、適当に……
(怒られるかなかな(笑))
『不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局』
巨椋修(おぐらおさむ)
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