困った支援者たち
『不登校・ひきこもり・ニート』に限らず、ときとして「良かれと思ってやっているのに迷惑な人たち」というのがいる。
“善意が強い人”というのは「人の役に立とうとして」余計なことをしてしまうことがあるものだ。
例えばうつ病に人に対して「がんばってといってはイケナイ」というので、うっかり「がんばって」といった人に対して、過剰に攻撃をしてみたりして、その結果、うつ病の人も、「がんばって」と言った人の関係をかえって悪くさせてしまうような人もいる。
よくあるのが、「精神科の薬は危ないなら飲まないほうがいい」という主張をし、薬を飲むことで安定していた病気の人を不安にさせたり、暗に薬を飲まないようにリードして病気を再発させてしまう人も多い。
そういう人は“善意”なのだ。
“善意”なだけに始末が悪い。
おもしろいことにラジカル(過激)な支援者は共通して、精神科の薬を悪者にする傾向がある。
私が見る限りにおいて、そういった支援者をよく観察してみると、その支援者自身が、かなり片寄った性格であり、だからラジカルなことがいえるのだろう。
そしてそういった支援者は、犯人探しが大好きであるようにも思える。
たとえば、不登校支援なら「学校が悪いから」とか、逆の立場の支援者なら「親が甘やかしているから」といった具合である。つまり「学校」や「親」を、あるいは世間や社会、政治を犯人にすることによって、自分の正当性や正義を主張しているように思えることが多い。
また困ったことに、そういった人たちは、極端な言い方や行動をするため、マスコミ受けがいいのである。
結果、当事者やその家族は、過激な支援者たちの引き立て役になってしまうことが多くあるのだ。
そして……
客観的に観て、そういった過激な支援者たちが行っている支援なるものが、どれくらいの成果が上がっているのかは、彼ら自身がほとんど発表しないので、不明なままである。
私はこういう困った支援者たちの行動は、まったく役に立たないということはないが、場合によっては当事者の多くに混乱や迷惑になっていると思っている。
そういう支援者や支援団体を見極める手立てとしては、敵を作り(学校とか、親とか政治とか)自分たちは正しいというような人や団体は注意をしたほうがいい。
また、そういった人や団体はマスコミが取り上げることも多い。極端な意見は、人目を引くからだ。
あまり極端な支援者や支援団体は注意したほうがいい。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)