見返り期待しいつもニコニコ
「情けは人の為ならず」
―日本の諺―
「情けは人のためならず」ということわざがあります。
これを
「人に情けをかけると、その人のためにならない」
と、解釈をしている人が大変多いと聞きますが、さにあらず。
「人に情けをかけるのは、人のためではなく、自分のためである」
というのが、正しい解釈。
つまりは、実に利己的であるとも言える言葉なんですね。(笑)
え?
利己的って言っちゃだめ?
いえいえ、人間とは、実に利己的な生き物でね。 人間だけじゃなくて、生物のほとんど全部が利己的といって本質を持っているんです。
人間の行動は、そのほとんどすべてが、「他人のためではなく、自分のため」に行動しているといってもいい。
「他人のためと言いつつ、自分のため」にやっているといってもいい。
例えば、デパートの売り子さんのほとんどは、ニコニコとお客に対応しています。
ムスッとした顔で営業をするセールスマンはほとんどいない。
なぜか?
売れない=自分のためにならないから。
これは、日常多くに見られる現象で、営業やセールスマン以外の人だって、いつもニコニコしている人や、他人に親切にする人は
「あの人はいい人だ」という、 “報酬” を受けるんです。
どこかのハンバーガーショップでは、メニューの最後に
「笑顔 ¥0(ゼロ円)」
と、書かれていると言いますが、笑顔というのは実にいいものでしてね。
投資ゼロ円で、“好意”という報酬を得られる方法とも言えます。
無償ボランティアの人でも、家族のためにがんばる人も、好意とか、感謝とか、自己満足とかの“報酬”を期待して行動しているというのが、本当だと思うんですよ。
「自己犠牲」と言われる行為でさえ、そういえるのが本質だと思うんです。
これを別の言い方でいうとこうなります。
「見返り期待しいつもニコニコ」
こう言うと、まるで“下心”があって、ニコニコしているようですけど、赤ん坊がニコニコ笑っていると、何となくうれしくなってくるじゃないですか。
人というのは、そういう風にできているんですよ。
でも心からニコニコできない人もいるんです。
それは、どこかで嘘をついている人だと思うんですよ。
「あなたのため、あなたのため」
と、一方的な正義や、世間的大義名分を押し付けている人もその中に入るかも知れません。
『不登校・ひきこもり』の人や親が、本当に「家族のため」、「子どものため」と言い続けて疲れてしまうことだってあると思うんです。
あなたのためといいながら、本当は自分のため。
自分のためといいながら、本当は人のため。
これが一番いいんだと思います。
それなら、いっそのこと、
「あなたのめたに言ってるんじゃないんだ。自分のために言っているんだ」
って開き直ってしまった方がいいと思うんです。別に人に言わなくてもいいから。(笑)
医者とかカウンセラーが。育児書とかでよくいうでしょ。
「親が子どもに【いい子にしていないと愛してあげません】【いうことを聞かないと愛してあげません】という取り引きではなく【あなたが、何もしなくても、そこにいるだけでうれしい】と受け止めてあげないといけません」
これでいいんです。
このときの親の見返りは【子どもがいるだけでうれしい】という気持ちです。その気持ちがあると、お互いにニコニコしていられます。
「情けは人のためならず」
「見返り期待しいつもニコニコ」
でいいんじゃないですか。
そうやって開き直ってしまった方が、無理をするよりも自分は楽になれ、人に優しくなれるような気がするのですよ。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)