ある種の支援団体につくづく思う

ある種の支援者・支援団代に対して、つくづく思うことがあるんですよ。



当事者に“甘い言葉”を語るようなところって、かなりウサンクサイところが多いように思います。


例えば



「学校に通っている子より不登校の子のほうが、感受性がすばらしいのだ」


とか


「いまの時代、まともに働いているほうがおかしいのだ」


だの


「学校教育が悪いんだから、不登校のほうが当たり前」


などなど、ただひたすら社会や学校のせいに“だけ”している支援者と称する人や団体があったりします。


まあ、そう言われれば、当事者は一時的には楽になるのかも知れません。


また、一時的な方便として使うのなら、それもいいでしょう。


しかし、そればっかりだと、当事者がすぐに「それだとダメだ」と気がつくのですが、真に受けてその後10年20年とひきこもりやニート生活を続ける人もいます。


と、いうか20数年ほど前に。そういうことを声を大にしていっていた団体があって、その影響を受けた人の多くが今そのままダメになっちゃってる。


そういった、当事者にとって“甘いだけ”の言葉をいう団体や支援者って、それをいうことで、自分自身を慰めているか、あるいはそうやって会員を集めようとしているかあるいは別の下心がある場合が多いように感じるんですよ。


ときどき、うんざりすることがあります。




不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表
巨椋修(おぐらおさむ)