子どもを愛するのに理由はいらない


どうも、もっぱら女性のみなさんに、






野獣





と、言われている巨椋修です。

あ、この場合、野獣と書いて のけもの と、読むように!(笑)


さてさて、わたしはこう見えて、動物好きだったりします。


牛とか豚なんかは、食べちゃいたいくらいに好きです。


犬や猫は、食べないけど好きです。









ときどき人を喰った男とも言われますけどね!!








弟子が韓国にいるんですが、「巨椋先生、ぜひ韓国に来てくださいよ〜」って言うんで


「そうだねえ、韓国で美味いものって何があるかなあ?」


って、聞き返したんですよ。彼は、「犬とか美味いっすよ〜」と、言ってましたので、韓国に旅行したときは、犬を食ってやろうとたくらんではいるんですがね。


ちなみに、あほな人は犬を食べることを、野蛮な行為なんて思っているみたいなんですが、そんなことはありませんって。

食文化っていうのは、文化なわけですから、そんなことを言えちゃう人は、異文化を否定するのに等しいこと。

日本人だって、数十年前までは、結構犬を食べる文化が残っていたりもします。

わたしの知っている50代くらいの人で、何人かは食べたって人もいるくらいです。
それも、ペットの犬を……


いえいえ、そんな話しは関係ない。このブログは、『『不登校・ひきこもり・ニートを考えるブログ』ですから、食文化の話しをしている場合ではない。


みなさんの中には、『ペット』を飼っておられる方もいらっしゃると思います。


あるいは、飼ったことのある人、これから飼おうと思っている人もいるだろうと思うんですね。


で、ペットの多くは、犬、猫、小鳥、ウサギ、ハムスター、亀、金魚、熱帯魚とかだと思うんですが、何のために飼っているんですかね?


犬なら、番犬っていう役の立ち方があると思うんですが、いま犬を飼っている人で、番犬として、あるいは使役犬として飼っている人は少ないんじゃないですかね?


住宅事情もあるし、番犬本来の仕事である


「あやしい人を見かけたら、わんわん吠える」


なんて犬は、迷惑がられますし、


「住居に侵入した人をがぶがぶ噛んじゃう」


って、犬も下手をすれば、不法侵入者に訴えかねられませんからねえ。


現代、犬を飼おうという人のほとんどは、番犬としての活躍を期待している人は少ないと思うんです。

猫だって、ネズミを駆逐してくれるのを、期待している人は少ない。


ある猫好きな知人が、猫を飼っようになったある朝、布団で目覚めてみると、目の前に、内蔵を垂らしたネズミが置いてある。

びっくりして寝返りをうつと、反対側には、血まみれのヘビが死んでたんです。

猫が、獲物を捕まえて、飼い主に見せにきたらしいんですね。
猫には、どうもそんなところがあるらしい。(笑)

飼い主は、猫にこんこんと、「そんなことはしないでいいから」って、諭したそうなんですが、猫に聞く耳があったかどうか……(笑)


つまり、現代では猫にもネズミ退治という使役は期待されていないんですね。



じゃあ、なぜ、多くの人々はそんな役にも立たないペットを飼うか?


答えは簡単です、


可愛いから飼うんです。

愛したいから飼うんです。

癒されるから飼う人もいる。

好きだから飼う場合もある。

ただ、欲しかったらという場合もあるでしょう。


なぜ、ペットはかわいいか、なぜ好きなのかを理屈づけることはできますが、いちいち解説する必要はないでしょう。


可愛いから、好きだから、癒されるから、欲しかったから、愛したいから


ペットを飼う動機はこれで充分なんです。



70年代くらいから、子どもをペット化する親が、問題化されています。


幼年期においては、子どものペット化でいいんですよ。
(少し大きくなってからも、ペット化なんていうのは問題ですがね)



動物を飼う人の仕事っていうのは、


●ちゃんと餌をやる


●排泄物の世話をする


●一緒に遊んだり、しつけをする


●ひたすら可愛がる


これに尽きるんです。


これができたら、動物だって人間の子どもだって、飼い主や親になつきます。



え?

動物と人間の子どもを一緒にするなですと?

その通りです。


認知症の老人ホームや、児童や障害者施設なんかは、動物並どころか、動物以下の扱いを受けている場合もありますが、これは恐ろしいことです。

ちょっと許せないですね。


ペットと人間の子どもとの違いは、ペットの成長はすぐに止まり、一生を飼い主の管理下に置かれるのと違い、人間の子どもは、成長し続けやがて親離れしていくこと。


だから親は、いつか子離れをする覚悟をしていかなければならない。


不登校・ひきこもり・ニート』で問題となる親子関係のひとつに“母子密着型”というのがあります。


親が子どもの羽ばたこうとする力を、殺してしまうことがあるんです。


これは“親の愛情”とはいえないですよ。


まるで愛玩している鳥の羽を抜いて、カゴから逃げられなくするような行為ともいえます。


それは、子どもへの愛情というより、親のわがまま、親の自己満足にしかすぎません。


子どもが思春期を迎えたあたりから、少しずつ子離れ、親離れの覚悟と練習をしておいた方がいいかも知れませんね。



親ってのは、子どもの成長にすごく期待をしたり、一喜一憂したりします。


それだけに、子どもの成長というのは、不安で楽しみなものです。


子どもに期待をし過ぎたり、親の要求を求めすぎたりすると、子どもというのは、親に喜んでもたいたいと思っているものですから、“いい子”を演じようとして、子どもがムリをしてストレスを抱えるようになります。


不登校やひきこもりの人の中には、“いい子”を演じようとして限界がきてしまい、疲れきってしまっているという場合も多いんです。


だから親は、あまり自分の“わがまま”、子どもへの“期待”を押し付けない方がいい。


そうしないと、場合によってはどんでもないしっぺ返しを子どもからくらうことになりかねません。


本当に子どもを愛しているのなら、“子どものわがまま”を全部きく必要もない代わりに、“親のわがまま”を子どもに押し付けるのも、ほどほどにね。(笑)




子どもを愛するのに、理由なんかいらないですよ。


ただひたすら愛するべし。


これでいいんじゃないですか。



FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)