自分を受け入れるということと、今を生きるということ
自分を受け入れるということと、今を生きるということ
『不登校・ひきこもり・ニート』や『逝きづらさ』を抱えた人に多くの人がいう言葉。
「そのまんまの自分を受け入れましょう」
「いまを生きましょう」
でもこの言葉の持つ意味を深く考えてそういう人は少ないんじゃないのかなって思うことがあります。
この言葉を実際に行うのってすごく大変なことなんですよ。
「そのまんまの自分を受け入れましょう」ってことは、自分の弱さやダメさを認めなさいってことです。
みんな自分の弱さやダメさを認めたくないから苦しいです。
別に『不登校・ひきこもり・ニート』の人じゃなくても、こんな言葉を突きつけられたらこう思うはず。
「アンタにいわれなくてもわかってるよ!」ってね。
「でも受け入れられないよ、だってこんな自分が嫌で嫌でしょうがないんだ。このままでいいわけないじゃないか」って。
「いまを生きましょう」っていうことは、自分が過去に仕出かしたしまった過ちを気にせずに、そして将来の不安も感じないでおきましょうっていっているのに近い。
それがカンタンにできるのなら、お釈迦様以来お坊さんは修行なんてしてませんって。
一日中修行をしているお坊さんだって、一生かけてその境地に至ることができるかできないかわからないようなことを、そうそうできませんって。
また「いまを生きる」という言葉を勘違いする人もたくさんいます。
「いまこの瞬間を精一杯生きる」=「後先のことを考えないで、いまさえ良ければいい」と考えてしまう人もいます。
それでいいなら、覚せい剤を打ちまくったりり、一日中アルコールを飲んだり、もっている貯金を全部競馬に使いきって「いまを楽しめばいい」ってことにもなります。
「いまを生きる」の意味は、「いまこの瞬間は二度とない時であり、いまこの瞬間を充実して生きれば、一生を充実して生きることができる」という意味です。
もし、自分のアルバムに5年前、10年前の写真を見ると、もうその瞬間に二度と戻れないことがわかると思います。
アルバムの写真の時代は「いま」ではないからです。
時間やそのときの「いま」は、二度と取り戻せない「瞬間」です。だから「いまを生きる」ことが大切なのです。
時間は取り戻せませんが、人生をやり直すことはできます。
それは「いま」そのときなのかも知れません。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)