働かない権利とは


友人のオガサワラさんが教えてもらったんだけど、ウィキペディアに以下のの記事がありました。

 働かない権利 
働かない権利(はたら かない けんり)とは、障害者などが障害や病気などの状態悪化を防ぐため、または障害などが重度で勤労がほぼ不可能な者があえて勤労を避けることを求める、または他人から精神的な手段などで勤労を強要されることを拒否する権利を主張する思想である。


障害者分野では反社会復帰とセットになって語られることが多い。なお国際法ストライキ権を保証しあらゆる強制労働を禁止している。

概要
本人が生存するために消費が必要であり、そのために生産が必要であり、労働は必要であるが、本人が働くため、働けるようになるために本人が要するコスト、それによって結果がどれほどのものになるか、この両方を見た場合に、本人に対して害が大きいことがある。


この場合、あえて労働を避け、他人から精神的な手段などで労働を強要されることを拒否することで社会で生存していく権利があるということを一部の障害者が主張している思想である。
引用;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%8D%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84%E6%A8%A9%E5%88%A9


「働かざるもの食うべからず」というのは、新約聖書のテサロニケ人への第2の手紙3章10節に出てくるセリフ。


そしてこの言葉を広めたのは、世界を共産化しようとした革命家レーニン


レーニンは、働かずに労働者から搾取をする貴族や、富裕層に対して、この言葉を使って責めに責めた。また、大衆には強制労働の手段にもちいたという経緯があります。


ぼくは、元々人間には「権利」も「義務」もなくて、便宜上、あるいは思想上、権利だの義務だのといった用語を用いたほうが便利だから使っているものだと思ってます。


だから、本当は「人に生きる権利・義務」なんかなくて

当然、「死ぬ権利・義務」もなくて

ただ社会や思想、言論に便利だから使っているだけ。

人は、権利や義務で生きているわけじゃなくて、虫が生まれて、やがて死ぬように、生まれて死ぬだけのこと。

でも、「権利」「義務」という用語は何かを主張するときに都合がいいから使っているだけだと考えています。


だからぼくは「権利」や「義務」なんて言葉は大嫌い。

でもまあ、今はそんなことはいいとして。(苦笑)


もし人に「生きる権利」や「人権」があるとすれば、同時に「働かない権利」や「強制労働」を拒否する「権利」もあるはずです。


よく不登校・ひきこもり・ニートの人に対して、強制的に学校に連れて行ったり、働くことを強制するとしたら、それは文字通りの「人権侵害」ということになります。

だからぼくはここでいう「働かない権利」に賛成します。


でもね、もうひとつ。生きる権利があるとしたら、死ぬ権利とか滅びる権利なんていうのもあるんじゃないかって思ったりもしています。

そんなことを言い出すと、どこからどこまでが権利なのかって話しになったりして、とてもややこしい。(苦笑)


ややこしいから、ぼくはこういう。


「働けなかったり、本当に働きたくなければ、働かなくてもいいですよ。共同体は、極力そういった人たちを守るべきです。

でも、滅びたいという人に対して、強制的にそれを禁止することもできません」


ああ、でも本当に難しい問題。ぼくには正解を出すことはできません。




FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)