被害者意識、加害者意識から遠ざかれ
『不登校・ひきこもり・ニート』関係の方々から、よく聞く言葉。
「わたしが悪いんじゃない!
全部親が悪いんだ!
全部教育が悪いんだ!
全部政治が悪いんだ!
全部社会が悪いんだ!」
わたしのせいじゃない。みんなのせいなんだ!」
という言葉。
これは、一種の被害者意識、被害妄想であり、一種の責任転嫁でありましょう。
それは、一時的なウサ晴らしになることもありますが、いつもそうやって、責任を他者にのみ向ける人、他を呪い続ける人を、ほかの人が見た場合、あるいは、いつもそうやってグチグチといっている人をあなたが見た場合、どう思うでしょうか?
決して尊敬はできないでしょうね。
もしそれが、自分自身であれば、相手にそういった責任転嫁をすればするほど、自分のことが嫌になってくると思います。
かといって、
「すべて自分のせい!
すべて自己責任!
悪いのは全部自分!」
という考え方も、よほど有能で、自分の周囲の事柄をすべて自分で始末できるような人物でないと、とてもキツイものです。
実際は、すべて他の責任とか、すべて自分の責任などということはなく、しっかりとした自意識がある人なら
「ここまでは、自分の責任、ここからはわたしの管轄ではない。あすこは誰々の領分」
と、責任の境界線が引けるはずです。
そして、その境界線は、そのときの状況や空気で、揺らぐもので、キッチリと決まった線ではありません。
そんな、揺らいでいる責任の境界線が、その状況に合わせて引ける人が大人なのです。
『不登校・ひきこもり・ニート』の人は、被害者意識が強い人が多いのですが、同時に加害者意識にも悩まされている人も、とても多くいます。
ほとんどの人が、被害者意識と加害者意識を同時に持ち、そのことに悩んでいると言っても過言ではないくらいです。
ここでいう加害者意識とは何か?
さっき言った「わたしが悪いから」というのは、自分に攻撃を加えていることであり、これも、自分への加害行為となります。
「わたしなど、生まれてこなければ良かった。
わたしはわたしが嫌いだ。
わたしがこの場所にいていいの?
みんな、ほんとは、わたしのことが嫌いじゃないの?」
という、自分を責める意識も、自分への加害者意識。
人は自分を愛する以上に他人を愛することはできません。
自分をいつもそうやって責めている人が、他人を大切にできるはずがありません。
他人を大切にできない人は、なかなか人に好かれません。
「すべて他のせいにする」という被害意識の強い人も、「わたしが悪い、わたしはわたしが嫌い」という人も、両方、自意識過剰であり、自己チューなのですよ。
もうそろそろ、そういった被害者意識・加害者意識から、遠ざかってみてはいかがでしょう?
世の中、全部自分が悪いということもなく、全部他が悪いということもないのです。
適当なところで線を引いて、後は、成功したら喜び、失敗したら反省する。
どうでもいいことはいい加減にして、
努力してなんとかなるなら努力する。
努力してもどうしようもないことは受け入れる。
そして、1日が終わって寝る前に思うんです。
「今日もいろいろ失敗もしたけど、いいこともあったような気がする。ともかく生きていて良かった。明日がばんばろ。おやすみ」
いつもこう思えれば、結構いい1日の終わりが過ごせるんじゃないでしょうか。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)拝