オナニーについて

不登校・ひきこもり・ニート』とオナニーとは関係ないだろうって?


はい、ありません!(キッパシ)


しかし、『不登校・ひきこもり・ニート』に限らず、性というのは実に重要です。

オナニーや性について相談されることもある。


たまに、我が子が不登校やひきこもりになったお母さんから、


「息子の部屋にエッチな本があるんですけど、どうすればいいんでしょうか?」


なんて真剣に相談されることもあります。



答えは、見て見ぬふりをしてあげるのが一番正しい。



母親にぎゃあぎゃあ言われるのが一番傷つきます。



思春期に入ると。ほとんどの男の子は、オナニーをします。

大半の女の子も、何らかの形でオナニーをします。


もっといえば、幼児期に、セックスプレイといって、擬似セックス行為や、腰を動かしてみたり、自分や異性の性器をいじったりする行為をします。


これをあまり厳しくとがめると、成人してから異常といわれる性癖になってしまう場合があるとも言われています。


かといって、大人が子どもに性的な行為を押し付けたりする場合も、やはり大きく心を傷つけてしまいます。


つまりは、“ほどほどに”、“やんわりと”注意するくらいがいいらしいですね。



さて、オナニーのお話しです。

近年まで「オナニーをすると、知能が悪くなったり、背が伸びなくなる」なんて言われていましたけど、もちろんそんなことはありません。


オナニーのエネルギーをスポーツで発散、なんて言う人がいますが、まったく関係ありません。

知能やスポーツとは、まったく別物と考えていいでしょう。


ある統計によると、むしろ学力優秀な若者や、スポーツに打ち込んでいる人のほうが、頻繁にやるという統計が出ているくらいです。



そもそもオナニーを強く罪悪視するようになったのは、キリスト教の影響です。

オナニーの語源は、旧約聖書の創世記に出てくるオナンの話しから来ているんですよ。



中世のキリスト教では、生殖を伴なわない性行為は悪とされました。

オナニーや同性愛とかは、レイプよりも悪いとされた時代さえあるんです。

レイプには生殖の可能性がありますからね。



とはいえ、キリスト教カトリックだけの時代は、聖職者にはそういった行為が、強く禁じられていただけで、庶民はテキトーにうまくやってた。

しかし、その聖職者たちだって、愛人を数人持ったり、同性愛に励んだりして、その腐敗はひどかったんですよ。最高位の法皇なんかも愛人がいて当たり前だったりします。


それに怒った信者たちが、プロテスタントを作るんですが、プロテスタントは聖職者だけじゃなくって、信者にも戒律を守ることを強要した。

子孫を残すためにセックスをしてもいいけど、快楽を求めてはいけないとか、体位は正常位以外はダメとかね。(笑)

日本人はカトリックより、プロテスタントのほうが自由だと思っている人もいるみたいですけど、実際はそうじゃないんです。プロテスタントのほうが、信者への縛りはキツいんですね。


そのプロテスタントの人たちが作った国が、アメリカ合衆国

新大陸に渡った人たちの性的テーマは


「生めよ増やせよ、地に満てよ」


です。これはやっぱり聖書の創世記に出てくる神のお言葉。

ここでも当然、オナニーは悪ということになる。


17世紀から20世紀まで、ヨーロッパとアメリカの知識人たちは、これでもかってくらいオナニーを攻撃した。

そのヨーロッパから、マルキド・サドやマゾッホという作家が登場したり、アメリカから異常性愛を研究する学者が現れるようになったのは面白いことです。

人間というものは、規制されればされるほど、そういった好奇心が表出でてくるのかも知れませんね。


そしていろいろな学者の研究により、いろいろなことがわかってきた。



例えば、『オナニーをするのは、モテないからだ』っていうイメージがあるけど、そうでもないらしいんですね。


逆にセックスの機会が多い、男女ほどよくやるらしい。



医学的には、男性にとっては、古い精子を吐き出して、新鮮で生殖能力が高い精子を送り込むためらしい。


女性にとっては、オナニーをすることでオーガズムを感じると、膣内が酸化され清潔になるそうなんです。







つまりオナニーをしない男のほうが、精子に元気がない!





オナニーをしない女ほど、そのオマンコは不潔!







などと、現代では言われています。



そして男女とも、結婚したからといってオナニーをしないわけじゃない。

既婚者でも、40代50代になってもするものらしい。

老人になってもするものらしい。

夫婦仲がいいほど、頻繁に(こっそり)オナニーをするものらしい。





“するものらしい”からといって、そういった話しを他人にするのは、恥ずかしい。


それでいいんです。


“性”は“生”であると同時に“聖”でもあると思うんですよ。


自分の親のオナニーどころか性行為をしている姿なんて想像したくもないというのが、ほとんどでしょう。


自分の子どもが、成長して“性的存在”になっていくというのは、何とも言い難い複雑な感情だと思うんですよ。



だからオナニーの話しなんて、家族であまり公然としないほうがいいんです。

“何となく”でいい。

子どもから性の話しや


「お父さんやお母さんは、オナニーしたことがあるの?」


なんて聞かれたら、


「それは言えないレモンのヒ・ミ・チュ!」


とか言って誤魔化せばよろしい。


また、性について話しにくいという親御さんや、学校の先生にいい言葉を教えてあげちゃいましょう。


わたしが好きなマンガ家で、『逆境ナイン』という作品が映画にもなった、島本和彦という人がいるんですけど、その人のマンガで、『炎の転校生』っていうのがある。

その作品中のセリフで









心に棚をつくれ!!










っていうのがあるんです。

つまり、自分に都合が悪いことを説教する場合なんかのときは、自分の心を




棚の上に置いといて



説教をするという技です。


そんなことは“棚にあげて”性やオナニーについて子どもの語ればいいんです。




FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)