性について考える
こう見えてわたしは、ポルノ解禁反対者なんですよ
ああいうのは、コソコソやるから楽しいのであって、
解禁なんかされたら、夢も希望もなくなっちゃうじゃないすか!!(笑)
さてさて、性について“平常心”で語れる人というのは、そう多くないと思います。
お父さんお母さんだって、学校の先生だって、ちょっと困っちゃう。(笑)
ピッと襟元を正して話すか、ニヤけて話すか……
また聞くほうだってそうで、中には露骨にイヤな顔をしたり、異常に興奮しだす人もいる。
まあ、それでいいんだと思いますけどね。(笑)
聞いた話しだと、性に興味がある人ほど、潔癖さを装って嫌悪したり、無視をするそうな。
東京都の教育者なんか『子どもの性』に異常に関心を持っているらしく、
15歳以下の性行為を条例で禁止しよう!
なんてことを言い出したことがあります。(笑)
子どもとはいえ、SEXを法律で縛ろうっていうのは、ちょっと異常な発想のように思えるのは、わたしだけでしょうかね?
違反したらどんな罰則が用意されているんだろう?
妊娠してたら、赤ちゃんは中絶させられるのかな?
などということまで考えてしまいます。
そもそも、日本では性は比較的寛容であったらしい。
古来から日本にある神道には、性に関するタブーは一切ないし、次に入ってきた仏教は、「不邪淫戒」なんていっているけど、お稚児さんとか、寺の小僧を性の対象にした少年同性愛は、普通にあったし、少女に男装をさせて囲うなんてこともあった。
次に入ってきた宗教は、儒教なんだけど、これは宗教というより学問として入ってきており、
「男女七歳にして席を同じゅうせず」
なんて言ってはいるけど、それほどの影響力はなかったんです。
日本が性について、うるさくなるようになったのは、明治以降。
西洋文明、キリスト教文明が、輸入されてからのことです。
キリスト教では、性は「穢れたもの」、「不道徳なもの」という考え方があって、その考え方が、少しずつ入ってきた。
キリスト教文明は、性の観念以外にも、『子育て』や『教育』にも、日本に影響を与えています。
いわゆる体罰や虐待。
キリスト教文明は、子どもを家畜扱いしますから、動物同様に“鞭打ってしつける”というやり方をします。
寝室の別で、一緒にお風呂にも入らない。(アニメ『隣りのトトロ』では、親子が一緒にお風呂に入るシーンが、欧米では“異常”としてカットされているくらいです)
明治以前では、子どもを叩いてしつけるという風習はなかったんらしいんですよ。
明治に来日した欧米人が、日本式の子育てをみて、感銘を受けたという記録もある。
少し話しがズレました。
性に関して第二次大戦くらいまでは、日本は大らかなものだったようです。
どれくらい、大らかであったか?
例えば、明治になり新政府は、仏教界に対してそれまで僧侶に禁止されていた妻帯を許したんです。
すると全国各宗の坊さんたちは、わらわらと結婚しだした。(笑)
あのね……、宗教団体ですよ。
御仏にお使いし、修行をしている人たちですよ。(笑)
政府が結婚してもいいよなんて言っても、修行をまっとうするのが本分でしょうが。
つまり、政府のお許しが出る前から、“やることはやってた”んでしょうな。
妻はいないくても、愛人やお妾はいたりもしたんでしょう。(笑)
倫理道徳の大本山たるお寺ですら、この状態です。
かの有名な童話作家宮沢賢治は、大の春画(いまでいうとエロ本)好きで知られていましたし、大の収集家でもありました。
あの人は、学校の先生もやってたから、いまだったらエロ教師としてクビになっているかも知れない。(笑)
まあ戦前は、それくらい性に対して大らかであったわけです。
それが、明治以降、日本人は欧米の文明とともに、性を「不道徳なもの」、「穢れたもの」として扱うようになってくる。
これはすなわち、性が“タブー”になってくるということでもあります。
すると性について、語ったり見たり聞いたりすること自体に、“罪悪感”を覚えるようになってくる。
学校で性について学ぶのは、その人の性知識の10%くらいなんだそうです。
それがいいのか悪いのかは、わたしにはわからない。
ただ知っておいたほうがいいこともあるし、どうでもいいことだってあります。
知らないほうが良かったなんてこともありますね。
でもまあ、性は人間の根幹にあるものですから、このブログでも、ちょくちょく取り上げて行こうと思っているんですよ。
わたしが書くんですから、知らなくてもいいことや、知らないほうがいいことに決まってるんですけどね。(笑)
じゃあ、次は性の話しの中でも、多分皆さんが苦手とするであろう、“オナニー”のことでも述べますかね。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)