すべての人は世間知らずである
子どもの頃からずっと不思議だったことがあります。
ぼくが、前を向いているとき、ぼくの後ろは見えない。
もしかしたら、ぼくが見えている世界はマボロシであって、見えない後ろはまったく別の世界であるのかも知れない……
いえいえお笑いくださるな。
小学生であったわたしは、何度も、しかも素早く後ろを振り返った記憶があるのです。
しかも結構真剣に。(笑)
そして大人になった今でも、後ろの世界は見えません。
自分の後ろの世界を想像すると、なんとなく恐ろしい。
人は自分の知らない世界、見えない世界が恐ろしいものなのでしょう。
すべての人は“世間知らず”です。
どのような人も。
何歳になっても。
何十年社会に出ていても、自分の周辺のことしか知らない。
メディアや活字は、多くのことを教えてくれますが、しかし自分の視線でしか物事を判断できなかったりします。
ときどき、わたし自身もそのことを思い知らされます。
すべての人は世間知らずなのです。
せいぜい、自分の周囲のことか、自分の仕事関係の、その中のほんの一部だけを知って、わかったつもりになっているだけという事実を、ぼくたちはまず知っておいたいいかも知れません。
そして、自分以外の人は、自分の知らない何かを必ず、必ず知っているものなのです。
そんな無知である自分を認め、他の人を尊重するなら、かえってもう少し世間を広く見ることができるかも知れませんね。
『FHN放送局』
巨椋修(おぐらおさむ)