人間世界のウラオモテ


光あるところに闇がある。


陽光の下には影ができる。


表あるところには裏がある。


などと至極あたり前のことを書いているのですが、多くの人にはそれがわからないらしいのです。


いや……


わからないのではなく、わかりたくないのでしょう。


見えているのに、見たくない。ないことにしたいのでしょう。


だから彼らは、壊れた機械のように繰り返す。



「わからない、わからない、わからない」


「そんなことはあるものか、そんなことはあるものか」



例えば、こう言う人がいます。



「差別は間違っている」


格差社会はおかしい」


「戦争は間違っている」



エス・アイ・ドウ。


間違っていると言えば間違っている。


おかしいと言えばおかしい。


これらの言葉は、正論と言えば正論である。


「良き市民」を演じようとすれば、そう言うしかないんです。


でも、ぼくたちは心の奥底で知っているはずなんです。


「差別や格差のない社会など存在しない」


誰しもが、自分は他人より少し良い目をみたいと思っているし、自分だけは少し大目に見てもらいたいと思っているものです。


もし、親がいて、自分の娘が優秀な大学を優秀な成績で卒業しようとするとき、就職先を男のちんちんを舐める風俗嬢になろうか、一流商社員や国家公務員になろうかと悩んでいるとして


「職業に差別はない、好きな方を選びなさい」


という人は極めて少数でしょう。


「平和を求める人が戦争を起す」


という言葉に納得がいかない人は、歴史小説やドラマを見て、信長、秀吉、家康といった英雄の定番の言葉。


「戦国の世を平和にするには、わしが平定しなければならんのだ」


というセリフに「戦をしているアンタが言うな!」と、ツッコミを入れなくてはならない。(笑)


もちろん、悪政や侵略者に対して銃をとる民衆に唾を吐かねばならない。




ところが人間という生物は、そのようには出来ていない。


人類が地球上に誕生して以来、常に理性なるものを保とうとして、保てずに屈服してきたという歴史があることを知っておかねばならない。


そのことを知っておいてから、正論を主張しないと、必ず逆転現象が起こりますね。


つまり



「平和主義者が平和のための戦争を起す」


「暴力反対者が暴力を行使する」


「差別反対者が新たなる差別を作る」



哀しいかなこれが人間であったりします。


人間は光の世界だけでは生きていけない。


闇の世界だけでも生きていけないってことです。


光にかたよるべからず。


闇にかたよるべからず。


光あれば影があり


明けない夜はありません。


人の世は、そんなものだと思い知るべし。


ですね。



不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表』
巨椋修(おぐらおさむ)