あなたの“世間”は何人?


 世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、


「世間というのは、君じゃないか」


 という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。


(それは世間が、ゆるさない)


(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)


(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)


(世間じゃない。あなたでしょう?)


(いまに世間から葬られる)


(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)


太宰治著『人間失格』新潮社刊より―



さてさて、あなたにとって“世間の人”とは、何人くらいですか?


世間が、自分に影響する他人であると、仮定した場合、せいぜい多くても50人くらいだと思うのですよ。


家族や、よく会う親戚、学校や職場で話をする友だちと、せいぜいその周辺……


もしかしたら、50人よりもはるかに少ないかも知れない。


人によっては、ほんの数人かもしれない。



それにしても、ぼくたちは、たかだか50人程度の他人の評価を気にやんで、右往左往する生き物なのですな。


自分の周囲にいるホンの数人の評価を、世間の目と感じ、ほんの数人から、認められたくて、行動をしているような気もします。


もの凄く有名な政治家や芸能人でもね。

やっぱり、その人の周囲、ほんの数人の評価をすごく気にしているんです。



自分の周囲、ほんの数人から受け入れられないと感じてしまった場合


その人は、世界中から受け入れられないと感じてしまうんですね。




いま、身近に悩んでいる人がいて、何とか力になりたいと思っている人がいるとしたら


まず、その人をそのまま受け入れることでが、一番の力になるのでしょうね。

もし、ご自身が悩んでいるのなら、ほんの数人だけでいいから、自分を受け入れてくれる人を探すことなのでしょうね。




世間とは、ほんの数人なのですから。



いや……


もしかしたら、たった一人……


たった一人、受け入れてくれる人がいれば……


それが、すべての世間なるのかも知れません。


だったらそれでもいいじゃないですか。



不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局』
巨椋修(おぐらおさむ)