自分を愛せない人は他人も愛せない


新約聖書のマタイによる福音書7章12節によると



「何事でも人々からして欲しいと思うことを、人々にもそのとおりにせよ」


という言葉があります。



しかし、この言葉を実行するには“健全な自己愛”が育っていないと、なかなかうまくいきません。


自分がして欲しいことが、人々とずれていたら、それを実行するとただの迷惑行為になってしまうかも知れないからです。


健全な自己愛が育っている人なら、人が何をして欲しいのか・何をしたら嫌がられるのかが理解できます。


しかし、健全な自己愛が育っていない人、つまり自己否定が強い人は、それがわからなかったり、わかっていても「自分がそれをやってもいいのだろうか?」と、思い何もできなかったりします。


あるいは逆に、自分のことを犠牲にしてまで人の為にがんばりすぎ、人の重荷になったり、かえって嫌がられたり、場合によっては足を引っ張る結果になったり、共依存関係になったりします。


こういった人たちは、いわゆる「空気が読めない」「空気に敏感になりすぎて何もできない」といった俗にいう「KY」という呼ばれ方をされてしまいます。


心理学や精神医学の言葉で



「人は自分を愛する以上に人を愛せない。自分を愛する以上に他人から愛されない」



という言葉があるのですが、まさにその通り。



「あなたの恋人や仲間、家族を愛するためには、あなた自身を充分に愛することが必要」



と、いうことです。



人の為と書いて『偽』と読みます。



ちゃんと自分を愛し、自己肯定感が育っていない人の愛は、偽であるのかも知れません。



新約聖書のマタイによる福音書22章39節の言葉に「汝の隣人を愛せよ」という言葉が出てきます。


汝の隣人を愛するためには、それ以上に自分を愛し、自己肯定感を育てていなければならないということでしょう。



汝自身を愛せ・汝の隣人を愛せよ



自分を許せ・他人を許せ



自分を認め・他人を認めよ



さすれば、あなたは救われるでしょう。



と、いうことなのでしょうね。





不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表』
巨椋修(おぐらおさむ)