不登校・ひきこもりを治すもっともいい方法とは


よく「不登校やひきこもりを治す方法ってありますか?」

と、聞かれます。

実は、確実にコレといった方法はありません。

しかし、わたしが見てきた限り、この方法がもっとも良さそうだというものはあります。

それをまとめてみましょう。


● その子を、1人の人間として認める。
不登校・ひきこもりを否定しない。
● 子どもが困った状態になったときは、ちゃんと介入する。
● 突き放したり、逆に干渉しすぎたりといった極端はやめ、1人の人間としての距離を保つ。


ちょっと解説しましょう。


子どもを1人の人間として認めるとは、子どもの人格を尊重し、余計な干渉(過干渉)はせず、もちろん、勝手に子どもの部屋に侵入したり、部屋の掃除をしたりしないということでもあります。


その子の人格を尊重していれば、その子のテリトリーである部屋に【掃除という目的で荒らしたり】することはないはずです。

そういうことをしてしまう人は、子どもを、1人の人間として扱っていないとさえいえます。

そんなことをされた子どもは、親を信用しなくなるか、いつまでも1人の人間として成長できません。


不登校の人やひきこもりの人は、学校にも家にも、安心できる場所がない人です。

学校が安心できないから学校には行けず、家の中でも安心できないから、自分の部屋にこもり、親ともちゃんと話しをすることができなくなります。

ですから、逆に「学校には無理して行かなくていいんだよ」「この家にいてくれてうれしい」といって、自分が安心できる場所を作ってあげると、そこを基地にして、外の世界に出て行けるようになります。

「学校にいけ」「働け」と、圧力をかけられると、逆に怖くて出て行けなくなり、そんなことを言う親は敵以外の何者でもなくなってしまいます。


いってみれば「北風より太陽」、「学校に行け」「働け」というより、「それでもいいんだよ」というほうが、かえって学校に行きやすくなり、外で自分を試しらすくなるという逆説が、いい結果を生む場合がおおいのです。


ただし、「見守る」とは「何もしないこと」ではありません。

長期のひきこもりになってしまった場合、その人の独力でひきこもりから脱するのは、かなり難しいといわれています。

ちなみに「介入」とは、無理やり部屋に押し入って引きずり出すということではありません。

困っている子どもに手を貸すということです。


普段のあいさつや会話もないのに、いきなり介入していくというのは、暴力に等しいことになりますので、そうならないために、普段から、あいさつや声掛けを欠かさないようにする必要があります。


会話をするときは、決してお説教や、○○くんはこうしてるなどといったことは禁物。

学校へ行かないのなら働けといった正論も禁物です。


彼らは、誰よりもそのことをわかっていますので、傷口を刃物でほじくるのと同じことなのです。


不登校やひきこもりの親の多くは、これらのまったく逆のことをしてしまっています。


干渉のし過ぎは良くないからと、子どもがSOSを出しているのに、無視をしてしまったり、掃除の名目で子どものプライバシーを無視して侵入したり、こっそり日記をひらいてみたり、携帯電話のメールを覗いてみたり……

これらは、子どもを1人の人格として認めていないと、親自身があらわしているということに気が付いていません。


「だって家族なんですから……」


という親がいたら、自分が思春期のときに、父親や母親がコッソリ部屋に侵入してきて、自分のパンツを観ていたとしたらゾッとしませんか?



苦情をいうと親が


「だって心配だから、お前のパンツを点検しているだよ、これは愛情なんだよ」


と、いったとしたら……



正直、わたしならそんな親とは一生、付き合いたくありませんね。


もちろん、子どものわがままに付き合いすぎるのもいけません。

子どもも、親を1人の人格として尊重するべきです。

不登校・ひきこもりから脱するには、それぞれが、それぞれを尊重し、お互いに安心できる関係になることです。


これは人間としてちょうどいい距離を保つことでもあるでしょうね。






不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表』
巨椋修(おぐらおさむ)