不登校・ひきこもり・ニートのやっかいなところは……
『不登校・ひきこもり・ニート』が、問題化するのは、本人か親、もしくは親族や周辺の人たちが、問題だと思ったときです。
つまり、
問題は問題とされたとき初めて問題となる
という通りで、本人も親も、周辺の人たちが『不登校・ひきこもり・ニート』を別に大したことないと、考えていたら“問題”にされないんですね。
さて、これが、『不登校・ひきこもり・ニート』問題のやっかいなところで
いくら本人が『これでいい』と、思っても他がダメと思っていたら、問題は解決されない。
いくら親や周囲が『これでいい』と、思っても本人がダメと思っていたら、問題は解決されない。
『不登校・ひきこもり・ニート』の問題っていういのは、個人で自己完結できないんですよ。
なぜならば、『不登校・ひきこもり・ニート』には、親や家族という“スポンサー”が必ずついていて、個人の問題と同時に、家族間の問題という側面もあるからです。
『ひきこもり・ニート』だと本人が自立するか、本人や親が納得する仕事に就くことが出来たら、それでいいはずなんです。
それで、本人がどこかから、仕事を見つけてきたり、親が仕事を探してきたりするんですけど、その仕事を親が気にいらなかったり、本人が嫌がったりすることがある。
そうすると、問題はまた振り出しに戻ることになるんですね。
『不登校』もしかりで、本人は親が可哀想だから、嫌々学校へ行って、それでもの凄く苦しんだりする。
本当は、親も子も、一緒に納得したほうがいいに決まっているんです。
なぜ 問題は問題とされたとき初めて問題となる かというと、
本人が困っている
親や周囲が困っている
両方が困っている
の、どれかということになりますね。
そうすると、解決にはお互いへの歩みよりとか、妥協のし合いが必要になって来る場合もある。
このとき、なるべくなら、弱い立場の人を尊重してあげるほうが、最終的にうまく行く場合が多いようです。
弱い立場というと、たいていは子どもということになります。
場合によっては、親や周囲の人かも知れませんね。
しかし、子どもの意見を100%飲むというのは、難しいでしょう。
親の意見を100%ごり押しするというもの、子どもの希望を失わせてしまう。
お互いに探っていけば、いい落とし所というのが、見つかると思います。
それで、どうしても落とし所が見つからなかったら……
決裂するのも致し方ないでしょう。
決裂するといっても、いきなり子どもを放り出すっていうんじゃなくて、ちゃんとお互いに約束を交わしてね。
納得してやるのがいいと思いますよ。
この先、トラブルがあっても、助け合っていけるようにね。
本人同士での話し合いが難しいなら、第3者に間に入ってもらったほうがいい場合も、少なくないと思います。
親子断絶とか、親子殺人になる前に……
お互いにコミュニケーションがあれば、そんなに難しくはないと思いますよ。
コミュニケーションが難しかったりした場合は、それこそ、第3者の手助けや、専門家の知恵を借りるものいいかと思います。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)