23年前稲村博氏の不登校へのの予言
昔、稲村博氏という精神科医がいて、1988年(昭和63年)、稲村博氏の研究について、こんな新聞記事が載ったことがあります。
「登校拒否症はきちんと治療しておかないと、二十代、三十代まで無気力症として尾を引く心配の強いことが、約五千人の治療にあたってきた稲村博・筑波大助教授(社会病理学)らの研究グループでの約五年間にわたる相談・治療の結果、わかった」
昭和63年の文教委員会では、下村泰氏が二十四歳の男性を例に出し
「中学二年の時に転校先でいじめにあい登校拒否に。
担任教諭が温かく相談に乗り、なんとか高校には合格したが、一学期の中間テストで成績が悪く、再び登校拒否に。
高校になると学校側もかまってくれず、「別の高校を受け直す」と中途退学。
翌年、レベルの高い高校に合格し、親も「これで大丈夫」と思ったが、今度は、四日間通っただけで登校拒否し、留年。
「大学入学資格検定試験を受ける」と退学したが、昼に起きて夜はテレビばかり見ている生活。暴力も振るうようになった。
稲村助教授は
「中学時代の登校拒否は、社会不適応の発端だった。十分治ってなかったため、競争の激しい高校に入り、こじれた。こうなると学校をやめても同じことだ」
とおっしゃっています。」
と、稲村博氏の研究や言葉を採用して、語っています。
―第113回国会 文教委員会 第11号」より―
これが、1988年、昭和63年のこと。
不登校(登校拒否)数は、3万8千人の時代でした。
この稲村博氏の意見に、真っ向反対したのが、あるフリースクールと、その親の会の人たち。
ひきこもり経験者の林尚実は著書の『ひきこもりなんて、したくなかった』で次のように書かれているそうです。
「私自身は医療不信だったわけではないのです。むしろ、体中がボロボロになっていたので、治療を受けられるものなら受けたいと思っているところもありました。
でも、治療を受けられなかった背景には、その後、両親、とくに母親のほうが不登校児の親たちのサークルにのめりこんでいったことがあると思います。
それは日本では最大の不登校関連のサークルであり、フリースクールを開設したり、主催者や関係者が本を出したりと、かなりの影響力がありました。(中略)
当時、ある国立大学の精神科の教授が不登校の治療方法を真剣に研究しようとしていました。「いのちの電話」の創設にも尽力された、献身的な医師だったといいます。
その医師は、不登校の子どもの素質や家庭環境に関する調査をしたり、予後の調査をしたり、治療方法に関する検討をしたりしていました。
そのなかには、いまの私にとっては貴重な見識も含まれていたのです。その教授を攻撃したのは、この不登校児の親たちのサークルでした。
このサークルが新聞社に働きかけ、当時の文部省に働きかけて、激しく批判をしました。そのためか、この教授は影響力を失い、むしろそのサークルの主張が少しずつ世間に受け入れられていきました。
不登校を教育や医療の問題としてとりあげるよりも、放任する方向へと世論が傾いたのです。」−−林尚実,2003,『ひきこもりなんて、したくなかった』: 62-5
わたしは林尚美さんの『ひきこもりなんて、したくなかった』という著書を読んでおらず、今回の話は主に「ひきこもりについて考えるところ」というブログを引用させていただきながら書いています。
この本の著者、林さんが、医療を受けていれば、その後ひきこもりにならなかったかどうかは、何もいえませんが、
「不登校は病気ではない」
という意見によって、救われた人も多くいれば、そうではなかった人もたくさんいるということでしょうね。
ともかく、確かに稲村博氏研究や
「登校拒否症はきちんと治療しておかないと、二十代、三十代まで無気力症として尾を引く心配が強い」
という言葉は、その通りになりました。
その後、登校拒否症(後に不登校と改められる)から、ひきこもりやニートといった「無気力症」といってもいい人たちが、多く生まれてきたのは事実でありましょう。
1988年当時や、それ以前に不登校になっていた人たちは、いま、30代半ばあたりで、もっともひきこもりが多いとされる年代となってしまいました。中には40歳前後の人も多くいることでしょう。
そして昭和63年当時、3万8千人であった不登校児童生徒は、いまや13万人近くにまで増えていたりします。
別に、不登校児童生徒が増えてもかまわないのです。
不登校のあと元気に楽しく生活ができていればそれでいいのです。
だけど、多くのひきこもり者やニートを見ていると、「元気に楽しく生活している」人ばかりではないようです。
「不登校でもいいじゃないか」とはいえるのですが、「一生、ひきこもりやニートでもいいじゃないか」とは、なかなか言えません。
いま、不登校でもひきこもり、ニートだとしても、それはそれでいいんです。数年後には、元気で楽しく生活できているといいなと、ぼくはそう思います。