第3者の文句よりも、休養、リハビリが必要です

『ひきこもり・ニート』について言えば、第3者から“納税”についての話しが出てくることがありますよね。


働かないゆえ、税収が減るとか、我々の血税を使っているとか。


我々は、苦しみながらも一生懸命働いて税金を納めているのに、『ひきこもり・ニート』は、遊んで暮らしている。それが許せない・不愉快だ・怠けているという理屈ですな。



一言でいえば、この意見は笑止。



『ひきこもり・ニート』が、働かないで暮らしているということは事実。

しかし、彼らには生活の面倒をみている誰かがいるからそうできるのです。


そのほとんどは、親でありましょう。

親は納税をした上で、子の面倒をみておるのです。

また、子も消費をする。


積極的ではないにせよ、社会に参加している。



また、他人の家庭の問題に、許せない・不愉快だ・怠けているなどという口出しは、基本的に無用。



その家庭が、他人を困らせている・犯罪行為をしているというのなら、別ですがそうでないなら、余計なお世話です。



当人や、親などが困っている。なんとかして欲しいという場合のみ、他人が手助けをすることができるというのが基本。


これは不登校も一緒。



例えば、まじめに働いていたサラリーマンに、親の遺産が入った。

それで、そのサラリーマンが、会社をやめ働くのをやめたとする。



この場合、第3者の意見は、許せない・不愉快だ・怠けているというよりも、羨ましい・妬ましいというものでしょう。


状況としては、『不登校・ひきこもり・ニート』とあまり大差がないというものですな。

よって、第3者の話しにそれほど耳を傾ける必要はない。



それよりも、当人や家族の誰かが困っているという場合の方に着目すべきです。



これは、不登校の場合もそうなんですが、学校に行かない子どもを無理やり学校に引っ張っていけばそれでいいなんていうことは、間違っているというのと同じですな。


不登校・ひきこもり・ニート』の人の場合、学校に行けない、働けないという以前に、人間関係がうまく行かない、対人恐怖などがあったりすることが少なくない。


心の怪我、心の骨折という場合も少なくないのです。



そういう場合、『無理やり学校にいかせる』、『無理やり仕事をあてがい働かせる』という以前に、心の休養、治療、リハビリが必要なんですよ。


もし誰かが、病気や怪我で学校に行けなくなった・働けなくなったというとき、その人を無理やり叩き起こして、学校や会社に連れて行こうとする人は、むしろ異常者といっていい。



怪我や病気の場合、休養、治療、リハビリが必要なのは言うまでもないことです。


これは、心の場合も同じです。


休養、治療、リハビリが必要。



リハビリとはこの場合、対人関係の練習や、職業訓練も含まれるでしょう。

リハビリの場としては、そういった機関だけではなく、家庭や民間のフリースペース、フリースクールも含まれます。


このことは、第3者だけでなく、当事者、そういった機関の人も、よくよく理解していないといけませんね。



不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局』
巨椋修(おぐらおさむ)