働かざるもの食うべからずは本当か?
え〜、ちょうど個人的な仕事で、『キリスト教の裏面史』みたいな本を書いていたものですから、こちらにも書くのですけどね。
あ、あくまで『不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局』においては、思想・宗教については中道・中立の立場で書いたり、語ったりするのが原則なので、別に、思想・宗教について、良い悪いをいうことは、すくなくともこのブログでいうことは避けたいと思っています。
ただ、歴史的事実や、文言の解釈については、あくまでわたし個人の考えですのでお許しください。
さて、『不登校・ひきこもり・ニート』が、多くの人に責められるセリフに
「働かざるもの食うべからず」
という言葉があります。
この言葉を有名にしたのは、世界を共産化しようとした革命家レーニンです。
レーニンは、働かずに労働者から搾取をする貴族や、富裕層に対して、この言葉を使って責めに責めたのです。
ではレーニンが使ったこと言葉の出典はどこにあるのか?
実は新約聖書です。
新約聖書のテサロニケ人への第2の手紙3章10節に、このセリフが出てきます。
語ったのはパウロという人。
パウロの語った「働かざるもの食うべからず」の意味を説明すると、このセリフの前に
「兄弟たちよ。主イエス・キリストの名によってあなたがたに命じる」
「怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい」
「あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかった」
「あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた」
「それは、わたしたちにその権利がないからではなく、ただわたしたちにあなたがたが見習うように、身をもって模範を示したのである」
と、あり、さらに
「あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた」
ここが「働かざるもの食うべからず」と訳されている部分です。
そして、聖書はさらにこう書いてあります。
「もしこの手紙にしるしたわたしたちの言葉に聞き従わない人があれば、そのような人には注意をして、交際しないがよい。彼が自ら恥じるようになるためである」
つまり、聖パウロは怠惰な人は、食べる資格がないと。
我々は、日夜努力して働き続けたと。
そんな人たちとは、付き合うなと書いているわけです。
レーニンもまた、富国強兵のために、働かない貴族や富裕層は滅ぼし、これまでの労働者は、これまで以上に働かせて、強固な共産主義国家を作りたかったようなのです。
しかし、皮肉なことにレーニンが作ったソビエト連邦という国家は、『ノーメンクラツーラ』という特権階級を作り出し、超がつくほどの格差社会、階級社会を作ってしまいました。
すごい皮肉です。
聖書ではイエスが「貧しき者は幸いです」といっているにもかかわらず、労働を強制し、共産主義や社会主義では、富の共同分配や平等をいっているにもかかわらず、特権階級を生み出してしまいました。
また日本国憲法では「納税の義務」「教育の義務」に加えて「勤労の義務」が書かれていますが、これは最初の草案にはなかったものでした。
最初の政府案では「すべての国民は、勤労の権利を有する。」
というものでしたが、日本社会党が「すべて健全なる国民は労働の権利と労働の義務を有する。」という修正案を出したところ、脚気的に
「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」となりました。
なんかこれ、労働を国家から強制されているみたいで嫌ですね(苦笑)。
人間なんて……
それがキリスト教徒であろうとも、共産主義者であろうとも、右でも左でも……
いい加減ぐらいがちょうどいいんじゃないでしょうか?
いい加減のススメですね。(笑)