秋葉原事件の親子関係から学ぶ

秋葉原事件の加藤智大(ともひろ)被告(27)の第16回公判が27日、東京地裁で行われました。

加藤被告は「親のせいではない」としながらも、事件の背景には、幼少期からの母親の厳しいしつけがあったことをあげ、九九ができずに風呂に沈められたり、床の上に散らばった食事を食べさせられたりということがあったと語りました。

これらに対して、母親は「教育の一環でやった」と、よくある答えをいったといいます。

また、父親がお酒を飲んであばれたり帰宅しないこともあったので、そのイライラを子どもにぶつけたともいいます。

秋葉原事件の加藤は、『不登校・ひきこもり・ニート』ではありませんが、この家族像は『不登校・ひきこもり・ニート』の家族像とかぶるところが多くあります。

こういった家族に育てられた子どもの多くは、幼い頃、親の前で「従順な良い子」として振る舞います。

親のわがままを聞かないと、幼い子どもは自分の命にかかわるからです。

やがて思春期前後になると、ある子どもは「不登校

ある子どもは「非行」

ある子どもは身体もしくは心の「病気」

という形で、自分を守ろうとします。


また、そういった子どもの場合、親子間の意思疎通が、うまくいかない場合も多く、そのためにうまく人間関係能力を高めることが難しくなり、いわゆるKYになり、いじめられやすくなることもあります。


親が自分の子育ての過ちに気が付くのは、子どもがこのような“症状”が出てからで、もうかなり大きくなってからですので、どうしていいかわからず、ただオロオロとするばかりであったり、夫婦でお互いに、責任の擦り付け合いをして、家族の雰囲気がますます悪くなってしまうこともあります。

しかし、子どもが少年期にこのような“症状”がでるのはまだいい方で、子どもが30代、40代になって出てくる場合も多く、ときどきみられるのが、すでに子どもが40代になっているのに、

「おまえのせいでオレはこうなったんだ!」

と、子どもが親を責めるようになることがあります。


こうならないためには、あるいはこうなっていたとしても、親も子も、それぞれに「大人」にならなくてはいけません。


不登校・ひきこもり・ニート』の親子を見ていて、よく感じることが、両者の未熟さであることが多いからです。

この場合、「大人」になるとは、過去にあったことは受け入れ、そしてなおかつ「過去は過去、今は今」と、切り離して考えることです。

いつまでも過去を引きずっていても、なんにもなりません。


なお、当たり前のことですが、『不登校・ひきこもり・ニート』の原因がすべて親の養育法にあるわけではなく、すべての『不登校・ひきこもり・ニート』の当事者がこのような事件の予備軍であるわけではないことを書き加えておきます。




FHN放送局代表
巨椋修(おぐらおさむ)