親の自立

ぼくが『不登校・ひきこもり・ニート』について調べるとき、大きくわけて二つの命題があるんです。


ひとつは『不登校・ひきこもり・ニート』になった人自身の自立。


もうひとつが、その親御さんの自立。



自立というのは「自分で立つ」という意味です。


これは経済的に稼いでいるかとかいう意味ではなく、自分は自分でいいと自己肯定できること、自分の責任の線引きをしっかりと出来ている人のことです。



自己責任の線引きができる=大人


ということでもあります。


ちゃんの自分を肯定できて自分を尊重できる人は、他人も肯定できて尊重できる人です。



自分を否定して、他人を尊重する人を「自分がない人」といいます。




自分がないから、子どもが学校に行かないといった程度のことで、大きくゆらいでしまい

「わたしが悪かったのではではないか?」

と、必要以上に悩んだり苦しんだりしてしまいます。


我が子に何があれば、心配したり悩んだりするのは当たり前のことなんですが、自分に自信がない人は、もうどうしていいのかわからなくなって、極端から極端な考えになってしまったり、他人の意見に左右されすぎて不安定になります。



ぼくは、どちらかというと、『不登校・ひきこもり・ニート』の経験者が、理解のない親からどうやって自立するかということについて、調べることが多いのです。



なぜかというと、「親が変われば子も変わる」っていいますけど、でも、実際のところ、親が変わったというのはあまり多くないんですよ。


変わらないか、変わったつもりになっているだけというのが大半。



だから、親が変わらない(援助を受けられない)子どもがどうやって、独力で『不登校・ひきこもり・ニート』から脱していくかということに関心が向くわけです。



親のほうでは「わたし(親)は変わった。だから子どもが立ち直った」なんて思っている人もいるのですけど……



その親御さん自身「親の会」とか「支援団体」の主催者をやっていたりすることもあるんですが、客観的に見ると、どう見ても、親の方はあまり変わっていなくて、子どもだけが成長しているなんていう例が、結構多いように思えるのです。



「わたしは変わった」とか言っている親御さんは、例えばそれまで不登校否定派だったのが、クルッと変換して、不登校肯定派になって

不登校の子どもの方が偉いんだ」

なんて、言い方が極端に変わっただけで、その人の本質的には変わってなくて、ずっと不安なままだったりするのをよく見ます。



不安をもっている特徴としては、いつも自信がない怯えた言動であるか、逆に攻撃的であることですね。


自分がこれ以上傷つくことが恐ろしくて、人を攻撃することで自分を守っているんです。



親御さんご自身が自己否定者で、自分に自信がもてないから、そういうふうに極端から極端になったり、攻撃的になったりして、不安にさいなまれているのかもしれません。



子どもは、そんな親をみて「お母さんを不安にさせているのは、ぼくが悪いからだ」と、子どもまで自己否定的になってしまうこともあります。


だから、親御さん自身に、もっと自己肯定感を育ててほしいなと思ったりします。


それと同時に、いまは子育て不安が強くならざるを得ない時代ですので、これまで以上に、母親支援というものが必要になってくると思います。




不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表』
巨椋修(おぐらおさむ)