まじめな親と疲れた子ども

不登校・ひきこもり・ニート』の関係の親子と見ていると、ときどき


『まじめで頑張っている親と、その親との付き合いに疲れ傷ついてしまっている子ども』


と、いうパターンを見かけることがあります。


親は(父親や母親に限らず)、「まじめ」「努力家」「がんばり屋」であり、子どもへの関心や教育にも熱心。

しかし子どもは、「不登校」「ひきこもり」「ニート」なのです。


親は自身がまじめでがんばり屋であるだけに、なぜ我が子がこうなってしまったのかが、あまり理解できません。

子ども、なんとか親の期待に答えようとして、まじめにがんばってきたのに、なぜ自分がこうなってしまったのかがわかりません。


多くの場合、親自身がまじめでがんばり屋であるだけに、「努力して当たり前」「がんばって当たり前」と思っています。

そして、子どもに、いろいろな努力を「やらせ過ぎ」てしまうのです。

結果、子どもは努力しても努力しても、親から認められず、誉められることも少なく、やがて疲れ果て、「ぼくなんか、何をやってもダメなんだ」ということを学習してしまい、親への不信、やがては人間そのものへの不信となっていきます。


ずっと親の影響が強かったため、自分で行動する自信も、自分の意見を主張することも養えないまま成長してしまいます。

むしろ、『不登校・ひきこもり・ニート』となることが、せめてもの自己主張であり、精一杯の反抗であるのかも知れません。

もちろん、すべての人がそうだとは言いませんが、そういった例は少なからずあるようですね。


もし、我が子はそうだと思う親御さんがいたら、子どもは疲れているわけですから、休養を取らしてあげることも必要でしょうね。

しかし、いつまでも休んでばかりでは、将来自立できませんので、再び動き出せるようなチャンスを与えてあげてほしいと思います。


もし、自分はそんな子どもだったと思う人がいれば、親にはあまり期待せずに、どこかで決断し、行動してほしいと思います。

それは親自身が何かをするというのには、荷が重いでしょうから、専門家など第三者の力を借りたほうがいいかと思います。

わたしは、不登校・ひきこもり・ニート……、とくにひきこもりやニートの解決に関しては、最終的に、ご本人の決断によるものがもっとも重要であり、大切であると思っていますから。



あ、あと、お父さんやお母さんも、あまり生真面目はやめて、心にゆとりや遊びを入れるといいと思いますよ。

「頑張る」の語源は、「我を張る」ですし、「まじめ」は時として「頑固」、つまり「頑(かたく)なに固まる」ということになって、いろいろな応用が利かなくなっているかも知れませんから。



『FHN放送局』
巨椋修(おぐらおさむ)