共依存
『不登校・ひきこもり・ニート』というのは、時として親子の『共依存』といわれる状態になってしまっている場合もあるようです。
『共依存』というのは、文字通り“お互いに依存しあっている状態”のことです。
人間は集団で生きる動物ですから、すべての人間は、お互いに依存しあって生きていということになりますが、これが『共依存』といわれるような状態になると、いささか違ってきます。
元々共依存 は、アメリカでアルコール依存症の妻たちに、ある共通する傾向があるのではないかと言われるようになったのが、はじまりです。
アルコール依存症の夫を持つ、妻が病院にいき、
「夫をなんとかアルコール依存症から立ち直らせたいんです」
と、けなげに言うわけです。
医師や看護士、周囲の人も、アルコール依存症の夫を持つ妻に同情して、
「わたしたちも、出来る限り協力しましよう!」
と、なりますわな。
当のアルコール依存症の夫も、
「悪いのは、オレだし一生懸命がんばって、お酒をやめるよ」
と、決意をしたりします。
ところが、医師や看護士が、妻の援助や支援をしているうちに、「?」が出てくるんです。
最初、妻は実にけなげに、夫の禁酒を激励し、夫もがんばってお酒をやめるようになってくると、今度な妻が、それとなく夫にお酒を飲ませるようとする。
何となく夫が、 “またお酒が飲みたくなるような責め方” をする。
例えば、半年間一滴もお酒を飲まなかった夫に言うんです。
「いまは、毎日が平和で良くなったわ、半年前までは毎日が修羅場だったもの。そういえば、一度、一緒にデートを覚えてる?
あのときのワインは美味しかったわねえ、あの後、あなたが酔い潰れさえしなかったら、最高に楽しい夜だったのになあ……
いまなら少しくらい飲んでも大丈夫かもしれないけど……、もう一度、あそこに行きたいなあ……」
などという誘惑をしてみたり、あるいは禁酒後の夫が、あるとき何か失敗や落ち込んだりしたときに
「まったくあなたは、ダメなんだから、それじゃあ、 お酒を飲んでいても、飲んでいなくても同じね!」
と、またお酒に逃げたくなるような、誘導をする傾向があるというんです。
そんなことを言われつづけていると、アルコール依存症で苦しんでいる夫は、ついついまた、お酒に逃げるようになってしまいます。
そしてまた、妻はアルコール依存症に逆戻りした夫に苦労させられることを繰り返すんです。
妻はというと、「この人は、わたしがいないとダメなんだわ、仕方がない人ね困った困った」と、かいがいしく世話をするようになる。
こういった傾向が多いことから、医療関係者たちは、 “夫をアルコール依存症にしている原因は、妻のほうではないか?” と考えるようになってきます。
それから医療関係者が、いろいろと調べていくと、妻は、“アルコール依存症である困った夫を、かいがいしく世話をすることに
“自分の存在意義を感じるようになっており、夫が、アルコール依存症から回復してしまうと、自分の存在意義がなくなってしまうため、夫がアルコール依存症でないと困る“
という状態になってしまっているというんです。
これが、共依存。
この『共依存 』は何も、アルコール依存症に限らないことが、やがてわかってきました。
そのひとつが、『不登校・ひきこもり・ニート』の人たちと母親との共依存 です。
子どもを親なしでは、生きていけないようにして、その子どもの世話をすることを、自分の存在意義にしてしまう、親子間の共依存 ですね。
子どもが『不登校・ひきこもり・ニート』になると、母親は「困った困った」といい、「このままだと、この子は自立できなくなってしまう」と、相談機関や医療機関に「どうしたらいいのでしょう?」と、相談したり教えを聞きにいきます。
そのかいあって、子どもが学校に再登校しだしたり、仕事を始めるようになると、今度は、
「そんな成績なら、学校に行っても行かなくても同じね」
と、子どもを責めたり
「仕事といっても、そんな仕事ならやらないほうがいいんじゃない」
と、やる気を削ぐような発言をしてしまうことがあるんです。
共依存というのは、たちが悪いもので、言っている母親は、子どもを『不登校・ひきこもり・ニート』状態に戻してやろうと、意識していない場合が多いということです。ほとんどの場合
「アナタのために言っているのよ」
と、思っているんです。
これはもの凄く残酷なことで、子どもの両手両足をもぎ取ってから、
「アナタは出来る子なのよ、さあ、がんばりなさい!」
と、いっているようなものなの。
子どもに「自立しなさい」と、いいながら「でも、この子はきっと失敗する。わたしがついていてあげないと……」と、自立を妨害す言葉を吐いたりしてしまいます。
『不登校・ひきこもり・ニート』の母親に、このような共依存状態になっているのでは? と考えさせられる場合もありますね。
また、過保護・過干渉の親。
逆に厳格すぎる親も、共依存といえるでしょう。
厳格というのは、親による子どもへの支配ですから、子どもを支配することによって、お互い過度に依存しあっている状態になります。
では、そうすれば、こういった状況から脱することができるかというと、お互いに自立することに尽きると思います。
わたしが見てきた中では、多くの場合、子どもさんは、早々に自立に成功し、逆に親御さんが、子どもから自立できないでいるという場合を見聞きします。
どうも親御さんのほうが、引きずるように思えます。
また、共依存 親子は、親が悪いとか、子どもがダメだからなんてことはないんですよ。
親御さんも、何らかの形でご自身の親から共依存状態に育てられていたりしている場合も少なくありません。
いろいろな条件で、そうなってしまうことがあるんです。
そうなったら、自分や親、子どもを責めるんじゃなくて、どうやったらお互いに自立できるようになるか、接近しすぎないで、ちょうどいい距離を保つかを考えてほしいと思います。
最後に、親子の共依存について書くと、特に母親のかたが、「わたしが責められている」と、思う人がいるかもしれませんが、そいう意図がないことを記しておきます。
『FHN放送局』
巨椋修(おぐらおさむ)