世間知と学校知


【世間知】【学校知】といった言葉があります。


【世間知(せけんち)】とは、生きていく上において必要な知恵のことです。


では【学校知】とは何か?


【世間知】と同じく「学校で生きていく知恵」なのか?


一般的に【学校知】とは、「学校で教えられる知識」が【学校知】といわれています。


しかし意味をもっと広くとって「学校生活を通して身につけるものも、学校知である」という考え方もあります。


現実的にいえば、後者の「学校生活を通して身につけるもの」が、その後の人生に大きく影響すると指摘する人もいます。


これを分かりやすく説明すると、わたしたちは学校で学んだ知識を、必ずしも社会人になってから、必要としていなかったり、活用していなかったりしますよね。


例えば、数学とか化学とか、高度な英文法とか、大人になって活用している人は、必ずしも多くないわけです。


しかし、そういった授業以外で学ぶ日常生活の習慣、例えば、


決まった時間に着席する。


許可をとってから発言する。


集団行動でのルール。


コミュニケーション・ルールなどなど


授業以外で、なんとなく、知らず知らずのうちに、習慣化されている生活様式こそ、社会人として必要なことであり、【学校知】であるという考え方があります。


現代は高校進学率が97%、大学進学率が50%を越えるようになりました。


つまりこれは、若者の【世間知】が、学校内の【学校知】が、かなりの割合を占めるということかも知れません。


本の学校というのは、元々「富国強兵」ために優秀な国民を作るという目的で発足した一面があります。

(近年まで、日本の学生服とは、詰入りやセーラー服(水兵服)など、軍服がモデルであったり、「起立」「礼」「着席」など、児童生徒がいっせいに決まった行動様式をするのは、日本か、日本の植民地化にあった国ぐらいではなかろうか?)


特に、日本という国は、ムラ社会というか「みんな一緒がいい」という考えが、いまでも強く残っていますから集団行動を基本とする【学校知】=集団行動ができないというのは、生きづらさに関係してくるのかも知れませんね。








不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表』
巨椋修(おぐらおさむ