否認と事実
『不登校・ひきこもり・ニート』の世界には、現実や事実を受け止められないで、「否認」してことを済まそうとする傾向がある。
ここでいう「否認」とは、自分が認めたくない事実や現実を
「なかったこと」
「●●のせい」
にして、自分を守ろうとする心の働きのことです。
これは『不登校・ひきこもり・ニート』系だけではなく、何かの病気にかかったときなど、それを認めたくないので、その事実を認めない働きをいいます。
それはめずらしいことではなく、実によくある傾向といえるでしょう。
例えば不登校の子を持つ親が、子どもが不登校になったという事実を認められず
「根性がない」
といって無理やり学校に連れて行くような行為。
あるいは「我が子が不登校になったのは、わたしの教育の失敗ではなく、●●という病気のせいだ」
と、不登校を正当化する行為。
あるいは「学校が悪い・いまの学校がおかしいから我が子が学校に行かないのは、正しいのだ」
と、思う心理。
ニートやひきこもりの人が
「ブラック企業で働くくらいなら、ニートやひきこもりの方がまし」
という理屈や、
「ぼくがニートなのは、親や学校が悪いから」
という心理でもあります。
そういった「否認」の心理は、時として本人や周囲の【緊急避難】として、大変有効なことも多くあるのは事実です。
また、また、その人たちがいっている理屈も、「現実逃避」「否認」ではなく、的を射ていることも少なくありません。
ですから、わたしは、「否認」を無駄であるとは思いません。
しかし、多くの場合は、あくまで【緊急避難】
緊急避難の後は、極力冷静に、かつ客観的に、事実を認識し、自分と周囲が納得のいく解決方法を模索した方が良いと、わたし個人は考えます。
おそらく答えはひとつではないでしょう。
もしかしたら、すべてが正解なのかも知れません。
どちらにせよ、その人生を歩むのは、他の人にあらず、あなた自身なのですから。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)