厳しいしつけは子どもを歪ませる

 不登校・ひきこもり・ニート系の人、生きづらさを抱えている人の多くは、甘やかされて育ったというより、親からとても厳しく育てられた人が多いようです。


 例えば学校の成績。いい成績をとったときに、大喜びをして、もし悪い成績をとってしまったときは激怒したり、激怒はしないけれど嫌〜な顔をしてみたり、皮肉をいう、ため息をつくなどする。


 例えば親が気に入るときは、大喜びをして、ちょっと気にいらないことをしたときは激怒したり、激怒はしないけれど嫌〜な顔をしてみたり、皮肉をいう、ため息をつくなどする。


 これ、すごく当たり前のことのように思えるんですけど、度を越すと子どもは「ぼくはいい成績をとらないと愛されないんだ」「わたしはいつも親の気にいるようなことをしないと愛されないんだ」と、思うようになります。


 すると子どもはどうなるか?


 親に愛されるために「いい子」を演じるようになります。


 つまりこれは、親に愛されるために本当の自分を隠すようになるということです。


 そしてこれは、子どもが自分自身に嘘をつくということでもあります。


 本当の自分が愛されないわけですから、子どもは自分自身に自信を持てなくなります。


 もっとも身近で、自分が生きていくためには全面的に頼らねばならない親が本当の自分を愛してくれないと思っているわけですから、これは親の愛を疑っているということです。


 親の愛を疑うくらいですから、ましてや他人を信用することができなくなります。


 そうすると他人とコミュニケーションをとるのが下手になります。


 学校等でもいい子を演じている場合、当然ストレスがたまります。


 そのストレスが病気という形で身心に出る場合もあります。


 そのストレスを発散するために、自分より弱いものをいじめるようになることもあります。


 自分に自信がないのですから、強く自分の意見をいうことができなくなるため、他の子が誰かをいじめていれば、流されて一緒にいじめてしまうかも知れません。


 親も他人も信用できないのですから、不登校やひきこもりになったすることもあります。


「わたしなんか生まれてこなければ良かった」と思う人もいます。


「悪いのは自分だ」「自分なんかいなければいいんだ」と、リストカットなどの自傷行為をする人もいます。



 かくのごとくあまり厳しく育てるというのは、あまりいい結果は生まないようですね。


 かといって「甘やかすのがいい」というわけではありません。「甘やかす」のはなく「充分に甘えさせる」というのがいいのです。


 大人の世界でも「〇〇さんに甘えさせてもらった」という表現をすることがあります。ではその〇〇さんは、どんな人でしょう? それは信頼できる人に違いありません。



「〇〇さんに甘える」というのは、〇〇さんに無理を聞いてもらったとか、融通をきかせてもらったとかいう場合に使います。あまり厳しい相手だと、決して甘えさせてくれません。


 子どもを育てるときも、大人社会でも、融通がきかないギスギスした社会では息が詰まってきます。


 このようなわけで、厳しく育てられた人のほうが、不登校・ひきこもり・ニートや、生きづらさを感じる人が多く育ってしまうのだと思います。