優しい人になるには




ときどき、『不登校・ひきこもり・ニート』の人たち全般に対し


「あの人たちは、とても優しい人たちなんです」


と、いう人がいたりします。


もしかしたら、そういう人自身が、とても優しい人なのかもしれません。


そうでなければ、何が“下心”があるのかもしれません。(苦笑)


わたしが、これまで観てきた中で、『不登校・ひきこもり・ニート』の当事者で、本当の意味で“優しい”という人に、あまり会ったことがないのです。

もちろん、いないわけではありませんが、多くは、優しいのではなく、自分が攻撃されないために、優柔不断になってしまっている人を見かけます。



ちなみに、わたしがここでいう“優しさ”とは“人を思いやる心”と、定義付けしておきます。


人を思いやる心は“ゆとり”から生まれます。


不登校・ひきこもり・ニート』の人の多くには、その“ゆとり”がありません。


よく「優しいお母さん」「優しいお父さん」なんて言い方があるじゃないですか。


親や大人が、子どもに対して優しいのは、子どもより“ゆとり”があるからです。


それは、腕力や体力、知力、経験、経済面などなど、多くの点で、子どもより勝っており、なおかつ“ゆとり”があるから、子どもが少々わがままを言っても、許したり、叱ったりすることができます。


親や大人が、子どもの同程度のゆとりや力しかなかったら、子どもと五分のケンカをしてしまうことでしょう。


実際に、ゆとりがなくて、我が子を虐待してしまう親も少なからずいるようです。


不登校・ひきこもり・ニート』の人の中には、「親が悪いから」「社会が悪いから」などと言っている人が多々いますが、これは「もっとおっぱいを頂戴」とダダをこねている赤ちゃんと同じです。


赤ちゃんというのは、自分では何もできず、ひたすら「求め続ける」ものだからです。


このタイプは、親にも結構いますね。


自分の子どもが学校に行かないのは、「学校が悪いから」「政治が悪いから」と、人のせいにだけしているような親。


こういった親も、赤ちゃん化しているといえるでしょう。


ほんとうの赤ちゃんならいいのですが、ある程度の年齢になった人間が、求めるだけで与えようとしないというのは、優しい人とはいえません。


優しさとは与えるものだからです。


優しい人になるには、与えられる力を持つことと、誰かに与えてもらったら、感謝する心を持つことです。



それは、自分と他人、自分と親、自分と社会の境界線をしっかりと引けるようになることです。


自分ができるのは、ここまでと、自分のできること、できないこと、やるべきこと、やらなくていいことに線引きができるということです。


自分ができること、するべきことがわかり、それができていると、心に“ゆとり”が生まれます。


そのゆとりを使って、人に気を配ることができるようになります。


人に気を配ってもらったら「申し訳ない」「情けない」と、自虐的になるのではなく、心から感謝することです。


気配りと感謝が、ちゃんとできる人、ある程度の自立ができている人になることが、優しい人になる方法です。







不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表』
巨椋修(おぐらおさむ)