そのプライドの正体は虚栄心かも
プライドって「自尊心」とか「誇り」って訳すけど、日本人のプライドって「恥をかきたくない」とか「虚栄心」なんだよね。だから「プライドが許さない」を日本語に訳すと「虚栄心が許さない」になるんだ。そんな薄っぺらなプライドなんか捨てて、本物の誇りを持てよっていいたいね。
―by巨椋修(おぐらおさむ)
ひきこもりにくわしい精神科医の斎藤環氏がいうには「ひきこもりの人はプライドが高い」といいます。
しかしそのプライドとは『虚栄心』かあるいは『恥をかきたくない』という自分を護るためのものなのではないでしょうか?
ひきこもりに限らず、日本人が語るプライドの多くが、「誇り」や「自尊心」ではなく、「恥をかきたくない」や「虚栄心」であるような気がします。
虚栄心の強い人というのは、同時に劣等感も強いものです。人のバカにされたくない・恥をかきたくないと思うあまり、自分をオーバーに盛ってしまったり、ときには嘘までついてしまう人がいます。
知ったかぶりをしたり、いつも上から目線で人や社会を見下したり、高圧的な態度をとってみたり、人を怒鳴ったりする人もいます。
それらの人は、そうすることで、体面を保っているつもりかもしれませんが、大抵は周囲の人にはバレていて、哀れまれていたり、相手にされなかったりすることが多いものです。
本当の「誇り」とか「自尊心」というのは、失敗して恥をかいたとしても、そんなことで傷ついたりへこたれたりしない強い心をいいます。
不登校・ひきこもり・ニートの人やその親を苦しめているのは、そんなニセモノのプライド、虚栄心や恥をかきたくないという心なのではないでしょうか?
もしそのニセモノのプライドを捨てることができれば、その人はその時点で、とても強い人になったということなのだと思います。
FHN放送局代表
巨椋修(おぐらおさむ)