ちょっと思いついたこと まとめ7

世間ではリラクゼーションばかり大切っていうけど、同じくらい緊張も大事なんだよ。ぼくは小学生の頃から千人単位の人の前で喋らされたりしていたから、人前に出ても緊張しなくなっちゃった。すると失敗しやすいんです。だからぼくは大勢の前に出て喋るとき「もっと緊張しろ緊張しろ」って暗示をかけてからやるようにしています。

なるほど〜、外見と仕草は大切ってことだね。コレかなりホントだと思うなあ。

性格は顔に出る、
生活は体型に出る、
本音は仕草に出る、
感情は声に出る、
センスは服に出る、
美意識は爪に出る、
清潔感は髪に出る、
落ち着きのなさは足に出る。
(出典不明)






新約聖書いわく【どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する】とあるように、自分への愛が少ない人は、他人への愛も少なく、同じく新約聖書に【愛は隣り人に害を加えることはない】とあるごとく、愛しているつもりでも、人を傷つけてしまうようでは、それは本当の愛ではありません。

同じ場所、同じ時間に同じものを見ていても、ぼくは全員、違うものを観ていたり、違う解釈であったりする。例えばこの絵は皆さんにどう見えるだろうか? もちろん正解などないのだけど、ぼくたちはずっと勘違いをしながら、それを正しいと思って生活しているのかも知れないなあ。






弱い犬ほどよく吠えるってのはホントで、自信がなく劣等感の塊りだからこそ「ぼくちゃんスゴいんだそ!」って威張りちらしたり、虚勢をはったりするのね。社会的に認められていないから、そうするわけで、哀れではあるけど迷惑だよねえ……

カエサル(シーザー)の言葉で「人は見たい現実しか見えない」と言い、イエスは「見るが認めず、聞くが理解せず」といったけど、人は現実すら自分の見たいように歪曲してしまうことがある。そうならないためには、客観力を高めることだ。

自分のレベルを上げたいと思ったら「自分が気持ちがいいと感じる状態と環境」をあげていかねばならない。汚い部屋が居心地がいいのに、綺麗な部屋に住んでも、やがて部屋は汚くなる。そんな人は「綺麗な部屋のほうが居心地がいいと」思えるように自己改革することだ。



FHN放送局代表
巨椋修(おぐらおさむ)