昔の日本式教育法


よくこんなことを言う人がいます。



「最近、子どもへの虐待が問題になっているけど、それは最近のニュースとかで取り上げられているだけで、昔は当たり前にあったんだよ。

最近の親は、子どもを甘やかして殴らなくなったから、子どもがつけ上がって、学級崩壊とかになるんだ

子どもは動物と一緒なんだから殴って調教しないとダメなんだよ。

いまの学校の先生はかわいそうだね。体罰禁止とかで子どもを殴れないからなあ……」



これは一部のホントと、多くの間違いがあります。


一部のホントとは、最近になって報道で虐待事件を取り上げるようになって、虐体が目立つようになったこと。


多くの間違いとは、子どもを殴らなくなったから、子どもがつけ上がる様になったわけでもなく、学級崩壊が増えたわけではないこと。


また、動物を調教するときに、殴って調教するのは素人で、高度な訓練を必要とする場合、決して暴力で動物を支配して躾たりはしないということです。

(動物を調教する場合、まずが全力で動物に愛情をかけて世話をし、人間と動物が一緒になって遊び、人間と付き合うことは楽しいことだと教え込みます。


警察犬、盲導犬、麻薬捜査犬などは、仕事をすると楽しいということを徹底して、教え込みます。馬などを調教する場合も同様です。


そうすることで、犬や動物達は、人間と一緒に働くことが生きがいになるのです)



学級崩壊などの場合、「すべてが……」というわけではありませんが、問題を起す子どもが、親から殴られて(つまり厳しくしつけられて)育てられた場合や、親による子育ての放任のため、人との協調がうまくいかなくなってしまっている場合が少なくないのです。


また犯罪少年もまた、親の養育態度が、厳しく躾けられた結果(行過ぎた躾は虐待と考えられています)であったり、放任や、過保護・過干渉(これらも虐待の一種です)であるとされているのです。


これも、全部がなどというわけではありませんが、不登校やひきこもりになってしまった人、うつ病神経症を患った人の中にも、子どもの頃、親から、とても厳しくしつけられたという人、体罰を受けていたため“怯えて育った人”や、親に気に入られるため“良い子を演じていた”子どもが、とても多いのです。



では、日本は昔から子どもを殴ったり、文字通り“鞭打って”育てていたかというと、歴史的に見るとそうではないのですよ。


子どもを叩いたりする躾は、明治以降の西洋式子育てが伝わってからのことです。


その子育て法が庶民にまで広がったのは、ひとつは明治以降の学校教育によって。

そして太平洋戦争後であるとわたしは考えています。

(※追記2017年11月17日 『少年犯罪データベースドア 戦前は学校でも軍隊でも体罰が絶対禁止だった』によると、、戦前は体罰が絶対悪で、明確に「犯罪」として処理されていたそうです。また軍隊による体罰日中戦争以降のようです)


では、明治以前はどのような子育てをやっていたかというと、


江戸時代後期に来日したカール・ツンベルクというスウェーデン人は、その紀行文のなかで



「注目すべきことに、この国ではどこでも子どもをムチ打つことはほとんどない。

子どもに対する禁止や不平の言葉はめったに聞かれないし、家庭でも船でも子どもを打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」



という日本古来の子育て法をヨーロッパに伝えています。


さらに明治維新後、すぐに来日したアメリカ人の動物学者エドワード・シルベスター・モースは、大森貝塚の発掘や、日本の文化を写真におさめたり、民具を収集したりしたことで知られている人ですが、その紀行文である『日本その日その日』にこう書いています。



「また私は、いままでのところ、お母さんが赤坊に対してかんしゃくを起こしているのを一度も見ていない。

私は世界中に日本ほど赤ん坊のために尽くす国はなく、また日本の赤ん坊ほどよい赤ん坊は世界中にいないと確信する」



「いろいろなことがらのなかで外国人の筆者たちがひとり残らず一致することがある。

それは日本が子どもたちの天国だということである。

この国の子どもたちは親切に取り扱われるだけでなく、他のいずれの国の子どもたちよりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少なく(中略)

日本の子どもたちが受ける恩恵と特典から考えると、彼等はいかにも甘やかされて増長してしまいそうであるが、しかし世界中で両親を敬愛し、老年者を尊敬すること日本の子どもほどのものはいない」




と、書き残しています。


ここで二人の西洋人が述べているのは、


「子どもに体罰を与えない」

「親がかんしゃくを起すことはめったにない」

「一見、甘やかしているようであるが、日本の子どもは、両親を敬愛し、老人も尊敬している」


ということでした。


明治時代、日本が見習った西洋式教育法というのは、キリスト教式の教育法で、それがどのようなものであるかというと、旧約聖書にはこうあります。



「まだ望みのあるうちに、あなたの子を打ち懲らせ」(箴言19章18節)

「あざける者をあなたは打つべきである。それは経験のない者が明敏な者となるためである」(箴言19章25節)



これがキリスト教的教育法。
(他にも子どもを鞭打てという文言があったと思うのですが、いまちょっと思い出せない)



欧米に比べると、日本における凶悪犯罪の少なさは、こういった子どもを可愛いがる日本文化と、子どもを家畜のように鞭打って躾る西洋文化にあるのではないかと言う識者は、多くいます。


かつて、子どもに暴力を振るうことが少なく、そうやって育てられた子どもは、親や老人を敬愛し、尊敬していた文化は、だんだんと消えつつあるように思えます。


人間は、幼少期・少年期に親や周囲の人に愛され、可愛がられることによって、他人を信用し、うまくコミュニケーションできるようになり、愛し愛されることが出来るようになると言われています。






体罰よりも愛を



暴力より安心を



愛や安心や平和を育んでほしいと

思っています。





そしてかつて、親から体罰や虐待、暴力を振るわれた人も、自分が同じことをくり返すのではなく、愛情を持って子どもや、他の多くの人たちに接してほしいと思いますね。


そして最後にもうひとつ。

体罰について、自らが親から殴られて育った人にとって、体罰反対といいにくい一面があります。

つまり、

体罰は間違っている」=「自分の親の育て方は間違っていた」

と、自分や自分の親を否定されているような気持ちになってしまうことがあるのです。

しかし、それは違います。

親を肯定することと、自らも体罰をすることは違うのです。

また、体罰をしないことは、甘やかすことではありません。

もっと本質的は、大切なものがあるはずです。

その大切なものは、みなさんがそれぞれお考えください。






不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表』
巨椋修(おぐらおさむ)