水木しげるに見る落ちこぼれでも楽しく生きる方法
●意外なことに落ちこぼれだった水木しげるさん
昨日、ニコニコ生放送『脱力系TV! 生きぞこないなう!』で、ゲゲゲの鬼太郎等で有名な漫画家水木しげるさんの人生について語りました。
語るにあたり水木さんの人生を調べてみたのですが
まず前半生は超落ちこぼれ(笑)!
どう落ちこぼれであったかというと・・・
■大正11年(1922年)0歳 三歳まで言葉を発せず、周囲を心配させた。
■昭和4年(1929年)7歳皆より一年遅れて境尋常小学校入学。自分の名を「げげる」としか言えず、「ゲゲ」と呼ばれるようになる。この「ゲゲ」が後の「ゲゲゲの鬼太郎」の題名のヒントとなったという。
■小学校時代は、朝寝坊でズイタ(大食い)だったので、一時間目はいつも遅刻。よく立たされていた。
■昭和10年(1935年)13歳旧制中学には成績が悪くて進学させてもらえず、無試験の境小学校高等科へ。
■昭和12年(1937年)15歳高等科卒業後、大阪に出て石版印刷の図案職人見習いになるも、二ヵ月でクビ。別の印刷所に就職 したが、これも同じような理由で解雇。
■昭和13年(1938年)16歳大阪、無試験の精華美術学院に入学するもすぐに行かなくなる。
■昭和14年(1939年)17歳日本美術学校(現東京藝術大学)の受験資格を得るために園芸学校を受験するが不合格。50人枠のところ受験者51人であった。電器会社の社員になるも二日でクビになる。
■昭和15年(1940年)18歳日本鉱業学校採掘科に入学するが半年で退学。
■昭和16年(1941年)19歳徴兵をのがれようと、大阪で日本大学附属の夜間中学に入学。
■昭和18年(1943年)21歳夜間中学三年の春、召集令状が届き、鳥取連隊に入営。その後ラバウルの最前線に送られる。前線の小隊が敵軍の襲撃にあい、命からがら逃げ出し、かろうじて一人だけ生き延びる。
■昭和19年(1944年)22歳理不尽で地獄のような軍隊生活を体験。最前線で敵の襲撃にあい、命だけは助かるがマラリアを発症。寝ているところに焼夷弾が落ち、左腕を失い、死線をさまよう。
■昭和21年(1946年)24歳横須賀市浦賀に復員。左腕再手術のため、相模原の陸軍病院に入院。
■昭和23年(1948年)26歳輪タク業などを営む。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)入学。
■昭和24年(1949年)27歳神戸で紙芝居作家となるも、極貧生活であったという。
■昭和33年(1958年)36歳貸本漫画家としてデビューするも、極貧生活が続き、質屋さんに服や自転車などを持って行って何とか食べていたという。質屋とは服や家財をカタにお金を貸してくれる町の金融屋さんで、つまりは借金をしまくっていたということになる。
■昭和36年(1961年)39歳両親が縁談を持ち込み、見合いから挙式まで五日間というスピードで結婚するも極貧生活は続き、米や味噌が切れリアル食糧難となり満足に食べられないことも珍しくなかったそうな。もちろん、質屋通いは終わらず増える一方であったとか。
■昭和41年(1966年)ようやく44歳で売れっ子漫画家となる。
(参照・引用:http://chofu.town-info.com/units/36243/mizuki/)
と、まあこんな感じの人生だったといいます。
●売れたら好きなことができなくなった
戦争では、あまりにもボンヤリしていたため、そういう人はもっとも危険な最前線に行かされるそうなのですが、ここでは水木さん以外の兵隊が全滅。ただ1人運よく生き残るのですが、それで上官たちに喜ばれたかというと「なぜ、おめおめ1人だけ生き残ったか!」と、ずいぶんといじめられたといいますから、ひどいものです。
学校では遅刻の常習者で、成績は最悪。就職してからは、すぐにクビになったり、長続きしなかったり。
漫画家になっても、全然売れなくて極貧生活に継ぐ極貧生活。原稿を描いても原稿料を払ってもらえないことがあったり「水木しげる」では売れないからと、勝手に名前を変えられたㇼ、原稿料をもらいにいったら、出版社が潰れていたりと、40代半ばまで、まるでダメダメ人生だったのです。
そんな水木さんですが、40代半ばで売れっ子漫画家になるのですが、今度は売れすぎて、大好きな睡眠がマトモに取れない。
忙しすぎて、大好きはな食べることも、毎日出前のラーメンばかりであったり、大好きなことが全然できなかったといいます。
そしてある日、ふと思うわけです。「自分の人生は幸せであったのか不幸であったのかわからない・・・」と・・・
そして50代で仕事を減らし、「なるべく怠けるように」なったといいます。
●落ちこぼれでも楽しく生きるための『幸福の7カ条』
水木さんは自分が幸せであるかどうか、わからなくなったため、自ら「幸福観察学会」なるものを作り・・・ といっても会員はじぶんだけなのですが、幸せについて考えるようになります。
そして作ったのが「幸福の七カ条」これは水木流「落ちこぼれでも楽しく生きる方法」と言えるかもしれません。
幸福の七カ条
第一条
成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条
しないではいられないことをし続けなさい。
第三条
他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条
好きの力を信じる。
第五条
才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条
怠け者になりなさい。
第七条
目に見えない世界を信じる。
これ、すごくいいと思います。私もかくありたい(笑)!
そして水木さんが重要視しているのは『好奇心』だといいます。
「ホンキで夢中になれることなら、周囲の評判を気にして「世間のルール」に合わせようなどとしてはいけない」
「他人の思惑などに振り回されず、自分のやりたいように生きる」
「これをトコトンやっていくと「奇人」とか「変人」と呼ばれることになります」
「さあ、あなたも奇人変人になりなさい。ワッハッハ」
(角川文庫『水木サンの幸福論』より引用)
水木さんにはこんな名言もあるそうです。『水木しげるがんばるなかれ―小さなことを笑い飛ばすコトバ』という本に書いているそうですが、すみません。私はまだ読んでいないので、又引きになります。
「のん気に暮らしなさい」
「少年よ、がんばるなかれ ときどき怠けることは、生きていくうえで大切なことです」
「普通に生活できれば幸せ、耐えられない苦しみに至る道は避けよう」
「人間なんていつ死ぬかわからんもんだ そう思うと毎日の「小さな幸福」といったものは、実は大切なものなんだ」
「急ぐことは死につながり、ゆるやかに進むことは生を豊かにする」
ただ、極貧生活を体験してきただけにこんな言葉もあるそうです。
「じっとしてたら 餓死する」
これなんか、ひきこもりやニートの人とかが聞くとドキッとしますよね。
でも、それはその通りなので、餓死しないように、なんとかするしかない。
人の幸せというのは、人それぞれ。
世間の目を気にするより、自分の好奇心や幸せを追求するほうがいいのではないでしょうか?
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巨椋修(おぐらおさむ)
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巨椋修(おぐらおさむ)は陽明門護身拳法という護身術&総合格闘技の師範をやっています。
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