なぜ、人は怒るのか?
なぜ、人は怒るのか?
答えはカンタン。
人は自分を守るために怒るんです。
そう、怒るのは自分を守るため、相手が自分を攻撃していると感じたり、自分にとって不利益を与えていると感じたとき、人は怒りを感じると思ってよろしい。
だからキレやすい人、短気な人っていうのは、いつも不安を感じていたり、自分が傷つくと思っているから、よく怒るということです。
「わたしの性格はファイタータイプなのです」
「わたしの性格は攻撃的なのです」
と言えば、積極的な性格と感じるかも知れませんが、その実情は、いつも不安感にさいなまれている傷つきやすい人、あるいはすでに傷ついている人ということです。
そのぶん弱い人ということもできるかも知れません。
そして、どうのこうの言っても暴力的で未熟な人ともいえます。
怒るというのは、心の中に嵐が吹き荒れるようなものでしょう。
「怒りに身をまかせる」
というのは、安定していない心に身をまかせるということです。正直、決して良いことじゃない。
また「怒りに身をまかせる」のが正しいと“教育”されてしまっている人も多くいます。
体罰や虐待を受けて育った人というの多くは、子どもの頃から怒りをコントロールする術が下手になるようです。
そして自分がされたように、人にもする。
彼らは親や教師、先輩などから、「怒りに流されるのは正しい」と、“教育”されているのですから、当然、そういった事を、
“教育、しつけ”
という名目で怒りをぶつける人もいますし
“感情的な怒りを爆発させるのはカッコイイ”
と、教えられている人もいます。
また、親から虐待を受けて育った子どもは……、虐待とは、親の怒り、コントロールされない感情と言ってもよく、また、言葉の暴力、暴言も含まれるのですが、それを受けつづけた子どもは、心の安定を欠くようになります。
なぜかというと、子どもっていうのは、頼る人は親しかいないわけですから、親が怒りをコントロールできない場合、頼る相手は極めて不安定ということになります。
頼る相手が不安定なら、子どもはいつも不安で、猜疑心を持つようになり、人間不信になり、自らも不安定になる。
そして親や教師、先輩などから習った怒りを他人にぶちまけるようになります。
怒りは自己防衛反応ですから、人間不信の人は、常に相手を疑い、我が身を守るために怒りをあらわさないといけなくなる。
『不登校・ひきこもり・ニート』の人たちと、その親を取材していて、普段はおとなしく無口、むしろネクラといってもいいような人が、いきなり攻撃的になることが少なくありません。
軽い気持ちで、あるいはボランティア感覚で支援とか応援をする人は、たいていそれで引いてしまいます。
これは、夢や希望を抱いてそういった職業に就職する人にも言えることなんです。
訓練されているはずの、養護教師やカウンセラー、保育士、精神科医、看護士、支援者といった人たちですら、そういった【怒りを抱えた人たち】の攻撃を受けて“心の病”にかかり、苦しんだあげく離職するっていうことも少なくありません。
また、そういった人たちが、逆に怒りを押さえられなくなって
【怒りには怒りを】
とばかりに、
「こいつらは、殴らなきゃわかんねえんだ!」
と、やってしまうことだってあります。
それは、学校や職場だけではなく、いろいろな施設や、老人養護施設の虐待事件を見てもわかります。
人間が生きている限り、いろいろな事に怒りを感じるのは、当たり前なことですが、しかし、怒りに身をまかせても、あまりいい事はありません。
もっとも怒りに、メリットがないわけでもありません。
怒りのメリットとデメリットは後日また書くことにしましょう。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)