【いじめられる側にも原因が】はなぜ間違っているか?



●いじめられる側にも原因があれば、いじめは許されるのか?

 いじめについて、よく


「いじめられる側にも原因がある。ゆえにいじめられる側が悪い場合もある」


という人がいます。

 確かに、人に不快感を与えたり、コミュニケーションが下手は人がいたりして、そのため周りの人がイライラさせるような人はいます。


 しかしだからといって「いじめられる側にも原因がある。ゆえにいじめられる側が悪い場合もある」という論法は絶対的に間違っています。


 理由は実に簡単で、




「なにか原因があったとしても、いじめてもいいということはない」





ということです。


 もし「いじめられる側にも原因がある。ゆえにいじめられる側が悪い場合もある」という論法が許されるとしたら、場合によってはいじめを容認してもよいということになります。





 どんなに相手が不愉快なことや受け入れがたいことをしても、どんなに気に入らない人であっても、だからといっていじめていいということはあり得ない!





 よってこういうべきです。




「いじめられる側に原因があるかもしれない。しかしいじめは絶対に許されない」




「いじめられる側にも原因がある。ゆえにいじめられる側が悪い場合もある」というのは、ただ単純にいじめを正当化しようとしているだけに過ぎません。




FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)