*1502862260*[巨椋修通信]あなたとは『記憶』と『意識』と『他人の存在』である!



記憶が無くなるとは過去が消えるということ

 「私」はなぜ「私」なのか? 「あなた」なぜ「あなた」なのか? それはまず、記憶の違いである。人が75億人存在するとすれば、75億人分それぞれ別の過去があり記憶がある。同じものは何一つない。同じ時間と場所を共有していても、その記憶には違いがある。それは、わずかであれ観ている位置が違うからだ。


 また記憶を補正する方法として「記録」がある。記録することで失われた記憶を保つのだ。


 記憶や記録が無くなるということはどういうことか?


 少なくとも、その人個人にとって、その過去が消えるということだ。


 そんなバカなと思うなかれ。歴史上の人物で家康や信長といった人がいたが、もし一切の「記録」が存在していなかったなら、すべての人々は家康や信長という人が存在していたことを知らないということになる。


 時間というのは、過去はすでに存在せず未来も存在しない。


 過去の記憶や記録がなければ、家康や信長がいたかどうかもわからない。いたとしても証明できない。


 いやそれどころか「家康」「信長」という単語も誰も思い浮かべることはない。それは存在していなかったというのに限りなく近い。




記憶があっても「意識」がないと・・・

 では記憶があったとして、はたして「意識」がなければどうか?


 それは現在のコンピューターと一緒で、記憶という情報があっても、その情報を発信したり、あるいはその情報を元に考えたり行動する「人間」という意識がないと、それはまったく役に立たない箱と同じ。あるいは閉じた本と同じで、ただの物体にしか過ぎない。


 意識があってまったく記憶がないとしたら・・・ おそらくその人は一歩も動くことはできないだろう。「記憶喪失」という状態があるが、多くの場合、記憶喪失の人は言葉が理解できたり、喋ることはできる。これは過去に学習した記憶の一部だから、まだ記憶がまったくなくなったというわけではない。


 高度に脳が発達した人間から、記憶がまったくなくなるとしたら、食べ物を出されても理解できないであろう。臭いをかいでも何の臭いか理解できない。


 目に映るすべてのものが理解できず、当然何もできないと考えられる。


 意識と記憶がセットになってやっと自分なのだ。



他人がいるから自分を自覚できる

 自分を自覚するために、もう一つ必要なものがあります。それは自分以外の人!


 私たちは生れたときから、親という他人やその他の他人に囲まれて育つ。


 生まれたばかりの赤ちゃんは、自分と母親との区別がつかないという。そして赤ちゃんは徹底して自己中である。


 赤ちゃんは成長するにしたがい、自分と母親が別人であることがわかってくる。


 やがて赤ちゃんでなくなるころになると、自分の要求を母親や他人に伝えるにはどうすればよいかを学んでいく。


 自分の思いを他人に伝えようとするには、他人は自分とは違うということを知る必要がある。同時に他人の思惑を察する必要がある。つまり成長や成熟とは、違う人たちを許容することなのだ。


 他人がいるから、自分という人を認識できるといっていい。


 さらにいうと他人は自分の鏡でもある。自分が歪んでいると他人も歪んで見えるのだ。


 自分が悪意に満ちていると他人も悪意を持っていると思う。


 
 さて、まとめると自分とは過去の記憶と意識、そして他人がいることによって成り立つのだ。


 そして自分の意識と行動の最終決定権は自分が持っていることを忘れてはいけない。



 繰り返す、決して親でも他人でもなく、自分の意識と行動の最終決定権は自分が持っているのだ。






FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)