楽観的現実論で生きよ!(後編)

●どうすれば楽観的になれるか?

 ではどうずれば悲観的な考え方の癖をもっている人が、楽観的になれるのか?

 まずいえるのは「自分の悲観的なところを否定しない」ということです。

 なぜかというと、その人の思考週習慣は、すでに『悲観的に考える』ように出来上がってしまっているわけです。

 悲観的に考える癖を持っている人は、悲観的に考えることこそが、本当のその人なのですから、そんな人が無理に楽観的に考えるようにしたところで、長続きするわけもなく、たちまち疲れてしまって「ほら、やっぱりわたしは何をやってもダメなんだ」と、悲観的な考え方を後押しする結果になりがちなのですよ。


 これは、生きづらさや不安を抱えて抱えている人が、無理やり『ポジティブ・シンキング』だの『プラス思考』になろうとしても、なかなかうまくいかずに疲れてしまい、より一層ネガティブになってしまうのと一緒。


 だから、「悲観的でもいいんだ」「悲観的なのが本当のわたし」と、悲観的なのを否定しないで受け入れてしまいましょう。


 よく「あるがままの自分を認める」なんていう言い方がありますが、ダメな自分、自分の嫌なところも、まんま含めて「これが自分」と、受け入れてしまわないと、本当の自分を受け入れたことにならないのと一緒。

 だから自分が悲観的思考の癖を持っていることを否定しないことが、楽観的になることへの第一歩となります。


●楽観も悲観も空想に過ぎない

 そもそも、楽観も悲観も空想に過ぎないんです。

「将来きっといいことがある」も「どうせダメになるに決まってる」というのも、未来への予想にしか過ぎません。

 どちらも現実ではないんです。

 では現実的に考えるとはどういうことか?

 これまであった事例などを冷静に、なおかつ客観的に分析し、希望的観測や他人の意見を除いて、自分の頭で考えるということです。

 意外とできないんですよね、自分の頭で考えるっていうこと。

 特に悲観的な人、不安を抱えた人は、自分の頭で考えることを放棄してしまう場合があります。


●不安と抱えた人は悪い想像をしがち

 東日本大地震のとき、いっぱいデマが流れたでしょ。なぜデマがどんどん流行っていったかというと、みんな不安だったからです。

 もしそのとき冷静だったら「この話しのソース(出所)は?」と、自分の頭で考えるところですが、、不安からネットでどんどん出回る情報、しかも悲観的な情報をピックアップして鵜呑みにしてしまう人がたくさんいました。

 人は、不安になると、悲観的な情報に敏感になって、悪い想像をしてしまうことが多く、そういったデマや噂を聞くと、鵜呑みにしてしまうこともあるようです。

 そして現実的に考えにくくなるようです。


●楽観的現実論で生きる

 楽観的に生きるには、ありのままの自分、ありのままの現実を受け入れることです。

 現実が楽観的に考えられない場合も、そのまま受け入れます。

 そしてその不安材料や、悲観的な部分をできる範囲で予防や、消去していくことです。

 例えば大学受験を控えている人が楽観的になり過ぎ「どうにかなるさ」と受験勉強をしないというのはいい考えではないでしょう。

 悲観的になり過ぎて「どうぜなにをやってもダメなんだから」と受験勉強をしないというのも同じです。

 現実的に考え、第一希望がダメで第二第三の手を打っておくべきでしょう。

 その第一希望、第二第三希望は、なるべく自分で考えるべきでしょう。

「人事を尽くして天命をまつ」(自分のできる事をつくしたら、あとはジタバタせずに、結果は天の意思に任せる)ことです。

 そうすれば、何もしないときよりも、確実に楽な気持ち、楽観的になっているはずです。




FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)


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