楽観的現実論で生きよ!(前編)


●楽観的な人とは? 悲観的な人とは?

楽観的な人と、悲観的な人っていうのがいますよね。

生きるのがつらいとか、うつ病とかの人って、そのほとんどが悲観的な人ではないでしょうか?


楽観的な人というのは、未来について「何とかなる」「未来が楽しみ」といった希望や楽しみを持っている人です。

悲観的な人というのは、未来について「どうにもならない」「きっとひどいことになるにいがいない」といった絶望や、不安を抱えている人です。


どちらが幸せで楽しい日々を送る可能性が高いかというと、それはやはり楽観的な人でしょう。


● 悲観的な人とは悪いことばかり想像する人

悲観的な思いが強くなり過ぎれば、うつ病ということになるのかも知れません。

うつ病には、三大妄想というのがあります。

うつ病の三大妄想

罪業妄想(ざいごうもうそう)

自分は罪深い存在で、周りに迷惑をかけていると思い込む妄想。


心気妄想(しんきもうそう)

検査で特に異常がみられないのに自分は重い病気にかかっていると思い込む妄想。


貧困妄想(ひんこんもうそう)

客観的に経済的な問題はないにもかかわらず、自分にはお金がなく生活ができないと思い込む妄想。


これを読むと、妄想とまではいかないまでも、軽いものなら、誰にでもあるのではないでしょうか?

軽いものなら、ただの不安です。

この不安というものには実体がないわけです。

多くの人はその実体のない不安というものに脅え、怖がっているのですが、これは現実的ではありません。


●楽観的とは「何もしなくてもなんとかなる」と考えることではない

では逆に、楽観的なのがいいというので、「未来は放っておいてもどうにかなる」と、何にもしないというのはどうなんでしょう?

ひきこもりやニートの人が「どうにかなる」とか「今日一日、今を楽しく生きればいいんだ」と聞いたようなことを言って、ただ毎日を何もしないでいるだけだと、あまりいい将来が待っているとは思えませんよね。


つまりは「過ぎたるは及ばざるが如し」(度が過ぎることは、足りないことと同じくらい良くないという意味)です。


楽観と悲観なら、どうも楽観的に生きたほうが良さそうです。

しかし、いくら楽観主義的な生き方がいいからといって、例えば、車を運転していて十字路に差し掛かったとき、明らかに目の前の交差点でぶんぶん車が走っているのに「どうにかなる」「きっとうまくいく」なんていって、ブレーキも原則やストップもしないで、十字路に突っ込んでいくような人を楽観的とは言わないのです。

そういう人を世の中ではバカといいます。

楽観的とは「何もしなくてもなんとかなる」と考えることではありません。

そこには、何らかの、あるいは口では説明できないかも知れないような、ある種の予測があって初めて楽観的になれるのです。


●悲観的な人は過去に傷ついた経験から学習している人


楽観的な人は、投げやりな気持ちで楽観的になっているわけではありません。

やはり過去に、「どうのこうの言っても、これまで死んでないし生きてるし」と、過去を受け入れることができ、さらに、「なあに、これから最低最悪の事態になっても、自分なら何とかできる」という自信や、過去に何とかなった経験がある人が楽観的になれるようです。


一方、悲観的な人は、悲観的な人は過去に傷ついた経験から学習している人です。

あるいは、過去の成功や経験があっても、次の事態に対処できる自信を失ってしまった人です。


さて次は、そんな悲観的なことしか考えられない人が、どうすれば楽観的になれるかを考えてみましょう。


(後半へ続く)



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巨椋修(おぐらおさむ)


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