病気という救い
個人的意見ですが、不登校・ひきこもり・ニートの人たちは、病弱な人が多いという印象があります。
ある意味、不登校・ひきこもり・ニートの人にとって、あるいは親や教師にとって、不登校・ひきこもり・ニート当事者が病気であるというのは、一種の救いとなっている場合が多いのではないか? と、思うこともあります。
「病気が救いなんてそんなバカな」と思うかも知れませんが、実際に当事者や親御さんと話しをしていると
「思い切って病院にいって、自分は病気なんだとわかってホッとした」
という人が少なくありません。
この場合の病名には、発達障害や、うつ病、自律神経失調症などなどがありますが、つまりは「なぜ自分は(我が子は)こうなんだろう?」と思っていたのが、「病気なんだから仕方がないのだ」と、考えることができホッとしたというのです。
この【病気だからホッとした】ということは、病気と診察されたことで「不登校・ひきこもり・ニートであっても仕方ないのだ」と、思えるということです。
まさにこの場合、病気は救いとしての効果があったと言えるでしょう。
また、他の病気であっても、病気であれば「とにかくいまは、病気を治すことが一番です」と、他の悩みを棚上げすることができます。
学校に行くのがつらい、仕事がつらい、人間関係がつらい等々の悩みも、病気になれば取り合えず免除され許されることになります。
病気になって得をすることを【疾病利益】といいますが、これなど疾病利益の一つでしょう。
そうなってくると、この利益を求めて【病気になりたがる人】が出てくるようになりますし、実際に病気になる人も出てきます。
【病は気から】というくらいですから、病気になりたい人は本当に病気になってしまうものなのです。
また最近話題の【新型うつ病】のなかには、うつ病になりたくてなった人もいるのかも知れません。
そういう人の場合、病院に行って病名を付けてもらうのはいいのですが、本当に治ってしまうと都合が悪いので、医者が本気で治そうとすると、他の病院にうつってしまうような人もいるそうです。
こうなってくると、本当の意味で【病は救い】とはいえなくなってくるかも知れませんね。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)
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