人生負けて当たり前

[対処案] 人生負けて当たり前



「人生は勝ち抜き戦だ」なんていう人がいます。これは決して本当のことではありません。


スポーツやゲームは、勝ち抜き戦が多くありますが、勝ち抜き戦、つまりトーナメントというのは、一回戦で半数の人が負けるんです。

2回戦では、生き残ったさらに半数が減り、三回戦でもさらに半数が減る。

そして最後の頂点に輝くのは一人で、次のトーナメントでまた優勝できるかどうかは、わからない。


人間、永遠に勝ち続けるというのは、ほとんど不可能。

ただし、負けない方法というのはあります。



最初から試合に出なければいい。

一生ひきこもっていれば、負け知らずのお山の大将でいられる。



つまり、何もしなければ負けることはない。


言葉を代えれば、「生まれてこなければよかった」


ということになる。






まあ、その人がそれでいいのならいいのですが、ほとんどの人は、心の奥底ではそう思っていない。


人生は、最初の10年くらいの間に、一度や二度の負けや屈辱を味わうことがあるものです。

これは心理的なものだけじゃなくて、実にいろいろな場面を指します。


七五三のお祝いなんて言うでしょ。

このお祝いのはじまりは、3歳とか7歳の子どもが“その年齢まで生き残った”というお祝いがはじまりと言われているんですよ。


昔は、多くの子どもが3歳までに亡くなった。

さらに5歳まで、

7歳くらいまでに亡くなったんです。


だから、3歳まで生き残ったのなら大丈夫。7歳まで生き残ったのなら、ますます大丈夫ということでお祝いをしたんですね。



また、生きている限りどうしようもないことがあります。

あなたが日本で生まれたとして、「本当はおフランスに生まれたかったのに〜!」と、親を恨んでも仕方がない。

男に生まれた、女に生まれた、ビンボー人の家庭に生まれた、体が弱い、障害を持って生まれたと、親を恨んでもどうしようもないんです。


そんな仕方がないことが、人生にはたくさんある。


それをいちいち恨んでいるというのは、時間の無駄。人生の浪費。


人生というのは、負けること、屈辱を味わうことなんて当たり前にあると思っておいた方がいい。

そんなことは、60歳になろうが70歳になろうが、当たり前にあると思っておいた方がいいんです。


むしろ“負けから学ぶ”という姿勢がないと、ただつらいだけになっちゃう。


強い人、タフな人というのが、なぜ強いかというと、負けることを知って“負け上手”になっているからだと思うんですよ。

“逃げ上手”と言ってもいい。



戦国時代の織田信長なんて、負けて逃げるときは徹底的に逃げた。

徳川家康なんて、武田信玄に戦争を仕掛けて、ボロクソに負けてウンチを馬の上でちびりながら城に逃げ帰っているくらいです。


日本史には、勝って負けたという例もたくさんあって、源義経なんて、戦争には勝ちに勝ったけれど、その勝ち方が誉められた勝ち方じゃなく(当時の日本の戦争道徳に反する戦争をしたんです。いわゆる反則をして勝った)、周囲への配慮も欠けていたため、味方に滅ぼされた。

織田信長も最後は味方の裏切りで滅んだ。

日本は、日清日露戦争に勝ちはしたけれど、いい気になってドイツ・イタリアをのぞくアメリカ・ヨーロッパ・中国といった超大国を相手に戦争をして、ボロボロに負けたりしています。


人生、勝って負けたり、負けて勝ったりと繰り返しますが、大切なのは、負けたときにいかに学ぶか…… だと思うのですよ。

むしろ、負けてくじけたときというのは、落ち込んだりもするけれど、そういったことを学ぶ重要な時間だと思います。


良くないのは、負けているのに、それを認めなかったり、「まだ本気を出していないだけ」誤魔化してしまったりすること。

ちゃんと負けを受け入れないと、反省はもちろん、負けから学ぶことを拒否してしまうことになります。そうしてしまったら、もう学ぶこともできない。成長することもできない。


人生ってのは、負けてからがはじまりくらいに思っていていいじゃないでしょうかね。





FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)拝