そのプライドはホンモノか?

不登校・ひきこもり・ニート』の人って、けっこうプライドが高いっていうじゃないですか。



でもそのプライドは本物なのか? って思うときがあるんです。



そのプライドは、“誇り高い”、“気高い”というよりも、自己防衛、自己保身のような感じがするときがあります。





「バカにされたくない」



「恥をかきたくない」



「人から軽く見られたくない」





そんな思いから、肩肘を張ってツッパッてしまっているような気がするときがあります。



これは『不登校・ひきこもり・ニート』の人ばかりじゃなくて、けっこうそんな人がいると思うんです。



身の丈に合わないミエを張って、ツッパッて、自慢をして、他人を見下すような人。



でも、身の丈に合わないので、どうしても人にわかっちゃって、余計にバカにされる。



バカにされたくないから、余計に肩肘張って、人を見下すようなことを言って、嫌われちゃう。



人はね、時としてミエを張ったり、ツパッたりすることが必要なときもあると思うんですよ。

でもそれは、「ここ一番、勝負!」ってときで、普段からそんなことをやっていると疲れちゃうじゃないですか。



疲れちゃって、ミエを張っても逆効果だとしたら、そんなことはやめちゃってさ。



見せかけのプライドよりも、本物のプライドを持った方がいいと思うんです。



見せかけのプライドって、タマゴの殻みたいなもんだと思うんですよ。



薄い殻を破ったら中はぐにょぐにょでね。



大切なところまで、指先で軽く壊されちゃう。



本物のプライドって、つきたてのモチの中に鉄球が入っているようなものでさ。



その鉄球がプライドでさ。



外側はぐにょぐにょでも、肝心の中心には、千枚通しで突いても、カナヅチで叩いてもビクともしないようなものがホンモノのプライド。



だからさ、肩の力を抜いてさ。



へんなツッパリはやめてさ。



らく〜になればいいと思うんですよ。



いきなりはムリかもしんないけどさ。



少しずつ、少しずつさ



それで、指先で潰されるようなプライドじゃなくて、カナヅチで叩いても壊れないくらいのプライド。

“心の中心”を持ちたいものです。


少なくとぼくは、そうありたいと思ってます。



不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局』
巨椋修(おぐらおさむ)