弱者と差別とキレイゴト

弱者……

と、呼ばれる人たちがいます。


一般的には、子ども、高齢者、障害者と言った人たちがそう呼ばれています。


ぼくは一介の不良中年だけど、マジメにこう言った人たちは守らないといけないと思っています。


別にマジメぶるわけじゃなくてね。


他にも弱者と言われている人たちがいます。


かつて穢多非人と言われた被差別民の末裔たち。


戦前もしくは、前後の混乱期に、朝鮮半島から渡ってきた人たち。


前者は部落民とか同和と言われ、後者は在日と言われている人たちです。


彼らは、この国でとても差別されてきた人たちであったんです。


いわば、社会的弱者の立場でした。


これらの人たちは、就職や結婚にとてつもないハンデを負っていたというのは、歴史的な事実でもあります。


例え、優秀な大学を優秀な成績で卒業できたとしても、就職先がない。


その他の日本人と結婚できないという時代が続いたのは事実です。


その事実を社会や世間が認めたから、1969年に『同和対策事業特別措置法』というのができた。


同和のための、いろいろな特権を認めたと言ってもいい。それだけのハンデあると社会が認めたと言うことです。


在日朝鮮韓国人にも、大きなハンデがあります。

いま日本に住んでいる在日朝鮮韓国人の人たちのほとんどは、大戦後、朝鮮戦争から日本に逃れてきた人たちの末裔なんですよ。この人たちは不法入国者というよりも“戦争難民”と考えたほうがいい。

現在の在日問題は、当時の日本は国力がなくこの難民問題が手付かずのまま放置されてしまった結果といってもいいでしょう。

いまでも日本という四海を海で囲まれたこの国の国民は、難民問題や領土問題について、あまりに鈍感といってもいい人たちといえるかも知れません。


在日の人たちも、差別意識や国籍の問題等で学校に行けなかったり、就職にはとてもハンデがあった。


いま、日本のどこにでもあるパチンコ屋は、在日の人が広めたと言われています。


街金やサラ金の多くも、そうだったりする。


暴力団は、産業廃棄物などの会社を持っていたりするのですけど、そういった清掃業というのは、かつて穢多・非人といった人たちの仕事であって、つまり差別された部落民の仕事であったことも関係していると思われます。


人がやりたがらない仕事をやって彼等は生きていくしかなかったという側面がある。


誤解をしないでいただきたい。


清掃業や産廃関係、パチンコ屋、街金を差別するために書いているのではありません。


いまは、ある種の弱者と言われた人たちの生き方を言っています。

この言い方が難しいゆえに誰も語りたがらない一面もありますね。
それに怖い社会のことですから。





公安調査庁の菅沼光弘氏の話しによると、


“日本にいる8万〜9万人いると推定されるヤクザのうち6割が同和(部落)、3割が在日(韓国系、朝鮮系)、残りの1割が同和ではない日本人”


であるそうな。


一説によると、それは戦後のことで戦前は部落や在日の人は、ヤクザにも差別されて、ヤクザになることはできなかったといいます。


戦後の混乱期になって、これまで抑圧されていた人たちの一部は、非合法な裏社会に流れていったといってもおかしくはない。




よく口先だけで「差別なよくない」、「平等な社会を」と、社会正義を全面に出す人がいます。


ぼくはね。


そういった人に対して、“眉に唾をつけて”「ホンキで言っているのかいな」と、思って眺めることにしています。(笑)


不登校・ひきこもり・ニート』関係者にも多いんですよ。


口先だけの正義論を熱く語る人が……(笑)


差別意識や弱者について語るというのは、そういった口先論者が言うように軽いものじゃない面もあったりします。


それぞれに結構重いもんなんです。




それが、どれくらい重いものであったかというと、ある部落解放を教育する立場である学校の先生がいたんですが、その先生の娘さんが、部落出身者と婚約をした。


同和教育を教えている父親は、当初、結婚には反対しない。むしろ暖かく祝福したといいます。


そして、結婚式前夜……


父親は酒を飲み、突然、「部落民」、「穢多」などといった差別用語を絶叫し、娘やその婚約者を罵りはじめた……


やがて父親は自殺したといいます。


教師として、培ってきた父親の教養や道徳は、父親の表向き、キレイ事を払拭してはくれなかったんです。
(参照:光文社 知恵の森文庫刊「放送禁止歌森達也著)


植え付けられた差別意識、偏見というのは、かくのごとく重い。


口先だけのキレイ事や正義は、現実を前にすると、かくのごとく破壊されてしまうことが多いんです。


不登校・ひきこもり・ニート』関係者の中には、そういった裏側を見ようとしないで、表向きの、光の面だけを見ている人が多かったりします。


表向きのキレイ事だけじゃなく、裏側にドロドロした感情や情念があるんですよ。


最近多い「在日がー!」「中国がー!」「マスゴミがー!」って発言しているエセ保守とかエセ愛国者なんかも同じて、いっている人は「正義」のつもりなんでしょうけど、でもその実自分のコンプレックスの裏返しのような気がして、あまりカッコ良くないなって思いますね。


さて、今回書いたのは、一般には“タブー”と言われていることのほんの一部だったりします。



人間社会っていうのは、いろいろな裏側とかがあって……


それでも、それなりに生きていくしかないんじゃないかなと思ったりします。





不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局』
巨椋修(おぐらおさむ)