それぞれの生き方があっていい


このブログを書きはじめた頃のころでしょうか。

わたしは、頓悟(とんご)したことがあるんです。

頓悟っていうのは、突然悟ることをいうのですが、ある日、なんかこれまでわからなかったことや、悩んでいたこと、自信のなかったことが,突然わかってしまったことがあったんですよ。

ぱかって脳が開いた感じです。

チャクラでも開きましたかね。(笑)


なにがわかったかというと、例えば『不登校・ひきこもり・ニート』なら、それはそれで別にいいじゃないの

人はいつか死ぬわけで、死ぬまでの生き方はそれぞれあっていいじゃないか

ってことですね。


学校に行こうが行くまいが

働こうが働くまいが

一生を引きこもって生きようが、どう生きようが

どうせ、完全、満足な人生など望んでも得られるとは限らず、また、得られたところで、他に欲望も出るでしょうし、生きる者は、皆、死へ向かって生きているわけで、それぞれあっていいんですよ。


一生を苦しんで生きることを選択する人がいてもいいし


同じ一生でも、楽しみを感じて生きる人がいてもいいし


人は、それぞれあっていいんです。


不登校やひきこもりに呪縛されている人や親の中には、むしろそれを望んで呪縛され続けていることも少なくない。



ときには、呪縛が生きがいになっていたりします。



それはそれでいいんです。

我々は、すべからく、他の命、植物や動物の命を奪って生きて、可能なら恋などをして子などを作り育て、死ぬまで生きたらそれでいいんですよ。

子を成せなかったら、またそれはそれでいいじゃないですか。


楽しいことがもしできるのであれば、できるだけやればいいんです。

したくなければしなくてもいいんです。



たかが『不登校・ひきこもり・ニート』ですけど、それに悩んでみるというのも、悪い事じゃありません。


悩まないで対処するのも悪い事じゃありませんね。


でもたかが、『不登校・ひきこもり・ニート』なんですけどね。


こだわりたかったら、こだわればいいし

嫌ならやめればいい。

あきらめてしまってもいい。

その呪縛から解放されたいのであれば、ただ、解放されればいい。




わたしのオススメは、楽になること

楽にやることですね

楽に、たのしく、です。

力を抜いてしまってね。

自分がたのしい方向を選択して、生きるっていうことですね。




他の生き方もたくさんありますから、それはそれで、きっとたのしいし、おもしろいと思いますよ。


どんな人生でもいいんです。


できたら、周囲の人に迷惑にならない生き方がいいんですけどね。

迷惑だといわれたら改めるか、その人と付き合わないようにするという方法もありますね。

それも変幻万化でいいんじゃないですかね。



『FHN放送局』
巨椋修(おぐらおさむ)