繰り返されるいじめ自殺事件
「大津いじめ自殺事件」が起こり、その報道を見ていてぼくが最初に思ったことは「またか……」という感想でした。
なにが「またか……」なのかというと、同様の事件が過去何十年もの間に繰り返されてきたからです。
いじめが発覚しても、学校側がいい加減な対応であったために、より一層いじめが陰湿化したり、激しくなる
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被害者が自殺
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学校側は、ことを荒立てたくないがために「いじめはなかった」と公表したり、「いじめと自殺の因果関係は認められない」とことを収めようとする。
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ところがいじめがあったと証言がでて、因果関係がわかってしまう。
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学校側が謝罪
これがお決まりのバターン。
謝罪までいかずに、学校側が被害者の親に因果を含めることもあります。わたしが聞いた中では
学校側「ことを荒立てれば、この学校の子どもたちの将来に傷がつきます。それに同級生、この学校の卒業生や後輩たちの進路や結婚に悪い影響が出るかも知れません」などと、やんわり諭されることもある。
自殺まで行かない場合など、加害生徒が、被害者に恐喝や暴行をいていて、保護者が訴訟をしようとしたとしても、学校側が「加害生徒の将来のため」を理由に訴訟を止めようとすることはよく聞く話しです。
これは、学校内でレイプ事件などが起こった場合なども、ことが公けになると「被害者である娘さんの将来が心配です」などといって、事件が揉み消される場合もある。
いじめ自殺に関しては、実のところ毎年のように起こっていて、今回のように公けになることがめずらしいくらいなのです。
公けにならない理由は、前述したような理由で、内々のうちに隠蔽されていく。
しかも隠蔽されている「いじめ」の内容は、すでに「いじめ」という言葉で済まされるような甘いものではない。
「暴行罪」「脅迫罪」という確たる犯罪行為であり、ときには「殺人」の疑いがある場合や「強姦罪」「強盗」といった凶悪犯罪であっても、学校の「教育的配慮」から「なかったこと」にされてしまうこともあります。
はたして本当にこれでいいのでしょうか?
今回の事件も、保護者が市を相手に訴訟をしたためにメディアに知られることになりましたが、多くの場合、保護者の方は我が子の自殺というだけで、打ちのめされてしまいます。
「もしかしたら、いじめにあっていたのでは?」
と、疑ったとしても学校側から
「いじめはありませんでした」
と、説明を受けると、ほとんどの場合、さらに調べようとかはできないものです。
さらに、学校側から「真偽はわかりませんが。そういう話しが出るだけで、他の生徒に迷惑がかかる」とか言われてしまうと、それでなくても精神的ショックを受けている保護者は行動できなくなってしまいます。
それでなくても、保護者ご自身が「自分の育て方が悪かったのか?」と、大変な罪悪感を感じてしまうものです。
また、わたしはいじめ自殺で、亡くなった親御さんにお会いして、取材をさせていただいたことがあります。
大津の事件と同じで、飛び降り自殺でした。
そして、学校側からの隠蔽がありました。
そのとき保護者の方が、学校側に求めた「職員会議議事録」のコピーを見せていただいたことがあります。
情報公開のために、公表されねばならないそのコピーはひどいものでした。
コピーの約8割はマジックで塗りつぶされたもので、発言者が誰なのかどころか、その内容もまったくわからないものだったのです。
今後、このような事件を避けるためにも、学校の隠蔽体質は無くさないといけません。
そして、いじめが起こったとき、速やかに最善の方法で解決しなければなりません。
同じようなことが、毎年のようにどこかの学校で起こっているのですから。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)