いじめ事件、感情に流される人々


ネットいうのはおもしろいもので

膨大な便所の落書き集であったりする一面もあります。

その匿名性から、便所の落書きよろしく感情のおもむくままに、ホンネもしくは時流に乗って好きなことを書く。

そんな一面があり、それがいいこともあれば、ひどく醜いこともあります。


大津いじめ自殺事件において、いろいろな非難が沸き起こっています。

しかし中には、ただの憂さ晴らしとしか思えないような非難中傷もあります。

例えば加害者の祖父とされる人のブログをみると、ただ感情的になっているとしか思えない中傷コメントが投げ込まれていて大炎上。

コメントを投げ入れている人は正義感がからやっているのかも知れませんが、いま現在のところ、このブログ主が本当に加害者の祖父と確定されているわけではありません。


つまり、そういう噂や流言からコメントを投げ入れているようなのです。
(例えその噂が本当であっても、中傷してもいいというわけではありませんから念のため)


そこで思い出すのが、かつて『松本サリン事件』で、犯人と誤報された人が、全国の正義を名乗る人々からの感情的な攻撃がありました。


ネットで、コンクリート詰め殺人事件の共犯と噂されて、10年間もネット攻撃をされたコメディアンのスマイリーキクチさんの事件なんてのもありました。


こういった人たちの特徴は「自分は正義であっちは悪いことをしているのだから、自分は何をやってもいい」という大義名分。

過去の歴史において、人間が「正義」とか「大義名分」を振りかざしたときほど、怖ろしいものはありません。


中世ヨーロッパで起こった「魔女狩り」も同じ。

これまで起こった戦争も「正義のため」「平和のため」という大義名分ではじまっています。

そして「いじめ」ですら、「いじめる側」は「いじめられるヤツが悪い」という大義名分を持っていたりします

近年の生活保護へのバッシングもしかり。

はたで見ていて、あまり感心しません。

あと、参考までに以前、FHN放送局のブログで書いた「情報と判断」という記事なんかもリンクしときます。
http://d.hatena.ne.jp/fhn/20111226/1324906714



FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)