生活保護問題は国家的怠慢である
ある民間人がたくさんの年収(5千万円)をもらっているのに、親が生活保護をもらっていたことが大問題になっています。
国会で問題とされ、ワイドショーや週刊誌で取り上げられるほどに。
中にはは、不正受給に対する怒りにとどまらず、生活保護をもらっている人=死んでしまえ
という人までいる始末。
どうやら日本という国では、本人のみならず親族も飢えてなければ、生活保護はもらえず、貧乏な家に生まれて、がんばって年収5千万ほど稼げるようになると、稼ぎの無い親兄弟、叔父叔母、イトコの面倒を見るのは当然で、万が一これまで支給された生活保護費は返却せよと、政治家や国民からいわれる国らしいのです。
つまりは病弱だったり出来の悪い親、家族、親族を持つと一生その面倒や責任を持たされるということですね。ひょっとしたら家族を作るということはその瞬間に連帯保証人の印鑑を捺すようなものであるいうことかも知れません。(苦笑)。
つまりは江戸時代の「連座制」が現代でも適用されていて、生活に困った人がいると国家や行政は基本的には面倒なんてみないぞということでもありそうです。
この国の民は、家族が生活に困窮すると、国家行政に頼るのは恥になり、多くの国民に糾弾されたあげく、有名人になると謝罪までさせられるということでもあります。
なにかがおかしい……
シノドスさんに掲載されていた生活保護問題対策全国会の「生活保護制度に関する冷静な報道と議論を求める緊急声明 」から何がおかしいかを解明してみましょう。
第1に、2011年6月の保護利用者数は204万1592人であったが、同年7月の同利用者数が約205万人となったといっても、保護率(保護利用者数の人口比)は約1.6%にとどまり、現行生活保護法において過去最多数の1951年時の保護率2.4%に比してまだ3分の2程度であり、実質的には過去最多とはいえない。
第2に、すべての国民、市民に最低生活を保障するという生活保護の目的からみると、貧困率16%(2009年)に対して、保護率は1.6%にとどまり、やっと10分の1しか捕捉していない。資産要件(貯金)を加味しても3割余りの捕捉にとどまる。
第3に、諸外国との比較においても、日本の生活保護率、捕捉率は際立って低い。よって、生活保護がその役割を十分に果たしているとは到底いえない。
現在求められているのは、貧困の拡大に対して、社会保障制度を拡充し、雇用を立て直すとともに、生活保護制度の迅速な活用によって生活困窮者を漏れなく救済することである。
つまり生活保護を必要としている人に対して、10分の1程度しか受給が行われていないという現実があります。
それらの残りの人々は、本来受けることができる受給を受けないままの生活を強いられているか、その家族が代行しているということです。
このことは、まさに国家行政の怠慢であり、同時にもし受給を受けることができても、家族親族に審査がいくため、家族親族に貧困を知られるのを“恥”と感じたり迷惑をかけたくないと感じた人は、生活苦に甘んじる結果になっている。
と、いうことでしょう。
そのために自殺を選ぶ人もいるかも知れません。
教育を受けられずに貧困の連鎖から逃れられない人もいるかも知れません。
適正な治療を受けられない人もいるかも知れません。
今回の某芸能人生活保護事件は、そういった人たちをより困窮に導く誘引になることでしょう。
もし、政治家が本気でこの国を良くしたいのならば、いま生活保護を受けるべきなのに、受けていない人に受けさせるように教導し、国を豊かに導くべきでしょう。
残念ながら、一連の事件は、マスコミや政治家による人気芸能人のバッシングと、それにより(正義を口実に)憂さ晴らしをする多くの人たちによる騒ぎであり、少なくとも困っている人たちを助けるためのものではなさそうです。
なぜならば、今回の事件は「不正受給をする悪人を防止するよりも、正統な理由で受給すべき人を圧迫し、困窮にいたらしめるほうが大」でしかないからです。
生活保護問題が、今回の事件のように一部国民の「ガス抜き」として扱われるのは、国家的怠慢であると、わたし個人は思っています。
このようはガス抜きをしながら、一方では増税を訴えている与野党ですが、それもまた政治的怠慢だと思います。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)